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作成者:古市 泰宏
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研究者の楽園
1970年の終わりごろには、キャップの研究は大きく広く進展していて「もう私の出番はない」ように思われた。誰かとバッティングしたり、枚挙的であるように思え、一種の燃え尽き症候群になっていたのかもしれない。すでに数年前に日本の遺伝学研究所は辞職し、ロシュ分子生物学研究所 (RIMB) の室長として独立した研究室をもらっていたのでーーー生活には困らない。「ポスドクは内部昇格を許さない」というルールがあるなか、筆者は、客員研究員だからということで、1976年から、研究所のメンバーに昇格していた。
RIMBは後に「研究者の楽園」といわれるほどに恵まれ研究所で、グラント (公的研究費) の申請は必要なく、研究テーマの選択も自由であった。さりとて、製薬会社がスポンサーになっている研究所であるから、分子生物学とはいえ、ロシュ社になにか貢献したいなとは、思っていた。所長のユーデンフレンド博士がーーー「研究所の自由度」を守るために「会社側への盾となって」苦労されていることをーーー、所長の親しい友人である早石修先生から聞いていたからである。でも、インターフェロンα (IFN) の遺伝子が、3階 (Biochemistry Dept.) のSid Pestka博士のグループによりクローニングされており、ロシュ社はIFNタンパク質を、抗がん・抗ウイルス医薬品として開発しようとして、新興のジェネンテク社と交渉中だった。このほか、2階 (Pharmacolgy Dept.) のSid Spector博士が発明したーーー乱用薬物を抗体で感知するーーーAbu・Screen/Rocheが軍隊で採用されているなど、研究所の貢献は、すでにロシュ社に認知されていた。しかしながら、筆者のいる4階 (Cell biology Dept.) からは、トップレベルの雑誌への発表論文数は、断トツであるものの、応用につながるような研究成果はまだ無かったーーー実際、基礎研究から応用研究への展開は中々難しい。
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