思い返せば、大学院の学生の頃には、セントラルドグマとかRNAポリメラーゼなどという単語に、人知れぬ愛着を感じていた。学位を取得した後にも、職業として分子生物学分野にはいたが、上記の問題を直接に扱うことはなかった。そこで、期限付きだった前職が終了に近づいた1999年に、自身に将来の研究を問うた結果として、次の職場 (2001年から慶應義塾大学先端生命科学研究所) ではRNAのことを真正面からやろうと、まず、国際RNA学会 (RNA Society) に入会し、その名も「RNA」という雑誌を定期的に購読することになった。RNA Societyの年会に参加するのは2002年の米国ウイスコンシンからである。その後、現在まで、2005年のカナダを除き、すべての年会に参加した。RNA 2004の年会の頃に、いずれRNA 2009とかが開催され、それにも参加しているのだろうかと思ったことがあったが、気がつくと今年のポーランドはRNA 2019であった。考えてみると、本当に何も知らなかったRNAの研究分野に関して、その知識の半分はこの年会で、後の半分は実験などから学んだと思える。年会の要旨集は20冊近くが手元にあるが、読み返すことはなくとも、捨てるに捨てられない (図)。

たぶん他の大学の教官より多くの学生をRNA Societyの年会に連れていく。多い時には自分をいれて7〜8名にもなる。これは、研究所を支援してくれる山形県や鶴岡市のバジェットがあることに強く支持されるが、学生の方も他の幾つかの助成金に応募することが義務づけられている。そのような助成金には指導教官の推薦書が必要なので、この学会の前には、学生の良いところを頑張って探すことになる。一人が発表すると言うと、同級生も発表すると言うことが多い。躊躇している学生には。この若い大切なときに世界的なレベルの研究者を見ておいた方が良いという。発表するのは大前提で、発表しないと学会の効果は半減する。能力のある学生には、借金してでも行った方が良いという。ある程度年齢がいってからでは、感受性のリセプターが不活性化してくる。しがらみに縛られた頭では、気づかないうちに、目の前の新しい潮流に怯えるか、ないものと考えるようになる。

きちんとした国際会議の教育的効果は絶大である。(1) 論文で知った著者に会えることが多い。うまくいけば、学生のポスターに来てくれることがある。もっと、うまくいくと、知り合いになってメールのやり取りや、共同研究に発展する。(2) 最近は、帰国生も増え、英語の堪能な学生が多いが、そうでない学生も多い。1週間弱の学会を終えて帰るときに、学生の口から、「もっと英語をやらなくては」と言う言葉を何度も聞いた。日本でこれを理解するのに1週間では足りない。もっとも、帰国して2週間もすると、ほとんどの場合、元の生活に戻るのである。それでも本抗原は学生の心に根付き、次回の年会に参加した時にブーストされることになる。(3) 一線級の大学や研究所に所属する、同年齢の大学院生やポスドクなどに会える。例えば、ハーバードやスタンフォードの大学院生は優秀だろうと思うかもしれないが、全員が飛び抜けているわけではない。このくらいの研究ならば、自分もできるのではないかなと思うことが大切である。この研究がNatureやPNASに出るのかと思い、その第一著者を具体的に見ることが必要である。日本のラボから出にくいのは、多くの場合、私を含めた教官の責任である。

学生を国際会議に連れていく時に学生に言わないようにしていることがある。例えば、「お金をもらって来ているのだから、良かった発表をレポートにして」とかの、一見すると教育的と思われるような指導である。それが、奨学金を出す方の要求ならば仕方ないが、これは、効果がないどころかむしろ学会を嫌いにさせる。だいたい、何かをやろうとしている人間に対して、お金を第一の理由に挙げることが気に入らない。我々でも、バジェットの出処によっては、「申請した研究の日誌をつけてください」などと課されることがある。日誌をつけるために研究をやっているのではないのは明らかだろう。その日誌を誰が評価するというのだろうか?少し前になるが、T工大の教授から、学会に行っていることを証明するために、同じ学会に参加している研究者のサインが必要だと請われたことがある。これは、その大学の某教授がカラ出張で告発された直後のことだったが、ごく一部の不正をした研究者のために、 他の99%以上の研究者の行動が規制されるのはおかしい。研究者はもともと自由なはずである。不正をした者を厳罰にすれば良い話ではないだろうか?すなわち、学生の学会参加も同じであると考えている。誰かに言われて何かを学ぶのでなく、一線級の発表の場に放り込まれた時に、自身が何を感じるのかである。レセプターがアクティブな時期なのにシグナルが伝わらないのならば、それは他の職種で頑張った方が良いということになる。つまるところ、自分が言われて嫌なことを、学生に強要するのは愚の骨頂である。

学会で色々な場所に行くことは研究者にとって一つの役得であると判断している。特に、実験系の研究者は、ラボが好きなのか、日曜の夜や祭日でもラボにいることが多いように思う。このような生活から抜け出して参加する学会はいつもとは異なる「祭り」の日々とも考えられる。となれば、年に一度会う様々な国の研究者とは、その出会いの舞台も思い出深いものである方が良い。もちろん、効率を考えれば、空港に近い、大都市のホテルで学会をやれば良い。これを否定するわけではないが、飛行機を2つ乗り継いで、そこからバスで2時間弱といった「田舎」でやる学会はやはり趣がある。これを観光というかというと、それとは少し違うと思う。生命を育んだこの地球上の色々な都市を訪れ、その歴史を感じ、該当する文化の食事を楽しみながら、同時代の科学者の研究と自身の研究を繋げるのである。この意味で研究にも歴史的な側面がある。例えば、「Aという遺伝子の統一した名前は20XX年の、イタリアの会議でB教授を中心に決まったな」と体感することである。

さて、縁あって来年度、第22回 日本RNA学会年会を、私の勤務する慶應義塾大学先端生命科学研究所のある、山形県鶴岡市で開催することとなった。羽田から飛行機で来られる方は庄内空港行きを予約してほしい。空港に到着すると、「美味しい庄内空港に到着しました」とアナウンスされる。この妙なアナウンスは鶴岡市がユネスコの食文化創造都市に選ばれており、鶴岡の食事が美味しいからである。空港が食べられるからでは決してない。また新潟駅から鶴岡駅に向かって日本海を見ながら電車で北上する経路もある。こちらは多少の時間はかかるが、とても風情がある。すなわち、来年度の学会は、開催地という点においで既に、舞台作りに万全な都市になり得る。皆様のサイエンスが鶴岡の地で、何かと相互作用し、開花することを願ってやまない。それが学会の醍醐味である。2020年の7月7日から3日間を予定にいれていただければ幸いである。

図1
RNA society年会の要旨集
2007年までは1発表が1ページの、小箱のような要旨集だったが、現在のものは「本」になり、1ページに2グループの要旨が印刷される。