2019年05月 第39号

大学の講義を準備しながら思うことですが、分子生物学の進歩には凄まじいものを感じます。私は毎年同じ講義を繰り返したくないので、可能な限り、新しい話題をとり入れ、時には脱線したりしながら、自分の講義に対するモティベーションを保つようにしています。実際、論文レベルでは、教科書に掲載されていない内容がどんどん登場しますが、何を盛り込んだらよいか、いつも頭を悩まします。華々しく登場した話題もすぐに反論されて立ち消えになったりするので、話題は慎重に選ぶようにしています。講義で教える内容が毎年更新するこんなエキサイティングな学問分野は他になかなかないと思います。

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前話で、ニーレンバーグとマテイが、ポリUを大腸菌のタンパク合成系へ加えるとフェニールアラニン (Phe) というアミノ酸が重合してポリマーになることを見つけ、UU-UUUの並びが、フェニールアラニンの並びに翻訳されるという大発見をして、ゲノム解読の糸口を見つけたことを紹介した。しかし、アミノ酸の数は20個あり、ブレンナー (Brenner) 等による遺伝学的解析から多分3個のヌクレオチドからなるコドンが一つのアミノ酸をコードすると予想されていたので―――4種の文字を使い3文字で一つのコドンを作るとすればーーーそれは64種の組み合わせになる。すると、PheのコドンはUUUとしても、残り19種類のアミノ酸はどの様なコドンだろうかが全くわからなかったし、第一、3文字からコドンを5' -> 3'の向きに、左から読むのか、右から読むのかさえ分かっていなかった。この稿では、その謎解きの前哨戦について紹介したいが、この時期はまた、戦後、若い日本人研究者が米国留学しはじめ、新たに広がったゲノムの分野に飛び込んで、「謎解き」に巡りあわせた時でもあり、それらの日本人の先輩研究者の活躍についても、この稿と次の稿とに合わせて紹介したい。

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RNAに興味をもったきっかけはRNAワールド仮説に出会ったことである。以来,RNA機能の多様性を探り,複雑な遺伝子ネットワークのもとに構築されている生体システムにおいてRNAが機能分子としてどのように活躍しているか、少しでも多く知りたいと50-500 nt程度の大きさをもつ”structured ncRNA”を中心に研究を続けてきた。

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ニーレンバーグとマテイ

タイムスリップして、大きな発明や発見の現場を見たり、後日であっても、せめて本人から、喜びや驚きを直に聞きたいものだ。しかし、いつもそういくとは限らない。ニーレンバーグとマテイによる、「UUUは、フェニールアラニンをコードする暗号である」ということを最初に示した実験には、大学院生の時に、大きな感銘を受けた。ゲノムに刻まれた情報がA、C、G、Uの4文字アルファベットの3文字の組み合わせによって単語としての意味を持ち、アミノ酸の種類や、メッセンジャーRNAの読み始めや読み終わりを指示し、文章を作っていたことに驚いたのだ。

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京都工芸繊維大学 応用生物学専攻の平島智貴です。今回は箱根で9月に開催されたRNAフロンティアミーティング2018に参加しましたので、その報告を行いたいと思います。

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DNAに、「シャルガフの法則」というのがある。DNAを構成する主要な4種の塩基、アデニン、シトシン、グアニン、チミンの量比が、A=TでありC=Gであるということを示した法則であり、この提唱者はコロンビア大学のシャルガフ博士である。この化学組成データと「DNAは、二本の鎖で、らせん構造を組むことができる」という英国ケンブリッジのウィルキンスとフランクリン両博士によるX線結晶構造解析データの、合計二つの重要なヒントを基に、ワトソンとクリックは分子構造モデルを組み、「DNA構造のパズル」を解くことができた (写真1)。その分子モデル仮説は、1954年にネーチャー誌で発表され、当初は、あまり評価されなかったが、数年後に証明され、分子生物学の幕開けという大役を果すこととなる超大発見だった。その結果、1962年のノーベル医学・生理学賞はワトソンとクリックとウィルキンスの3人に授与された。誠に残念ながら、シャルガフ博士には、ノーベル賞の声はかからなかった。一方、ロザリンド・フランクリン博士は、1958年に37歳の若さで卵巣癌のため亡くなっている。彼女の早い死は、実験のため、大量のX線を浴びたことによる癌の発生が原因だといわれている。

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東京大学新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻修士1年の韓佩恂と申します。今回は2018年9月19日から21日までの三日間をかけて、神奈川県箱根湯本のホテルおかだで開催されたRNAフロンティアミーティング2018に参加させていただきましたので、その体験をご報告いたします。

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The RNA Frontier Meeting is an annual academic meeting aimed at fostering and nurturing young talented researchers though close academic exchanges. This year’s meeting was held in Hakone (Kanagawa prefecture), a popular destination among Japanese and international tourists, renowned for its hot springs and scenic landscape. The meeting consisted of a 3 day 2 night program held from the 19th to 21st of September 2018.

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ーーーこの発見は、M. Frommer (豪)、R. Shapiro (米)、H. Hayatsu (日)の3人によってなされたーーー

DNAのメチル化とエピジェネティックス

次世代DNAシークエンサーとコンピューターの進歩により、ゲノムDNAを読み取る技術が飛躍的に向上し、個人のゲノム情報が、安価にかつ短時間のうちに解明され、個の医療へ役立てる時代になった。親から授かった、先天的なゲノム配列の解読は大事だが、特定する遺伝子の働きが、どのように制御されているかを知るためには、遺伝子のスイッチ役であるエピゲノムの情報 (―――後天的な遺伝子制御を意味するーーー) がさらに必要である。エピゲノム制御は、DNAの特定な部位でのメチル化により行われる。実際、高等生物のDNAのなかには微量の5-メチルシトシン (m5C) ならびにその水和物5-ヒドロキシメチルシトシンが含まれていて、遺伝子の上流部位において遺伝子の発現を制御していることがわかっている。したがって、DNA配列中の何処にm5Cがあるかを知ることは、ゲノム医科学や医療診断の分野においても、非常に重要になってきた。

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埋もれていた発見

RNAに関する幾多の発見を述べてきたあとで、―――RNAやDNAが、何時、誰によって発見されたのかを今になって述べるのは、いささか面映いが、この稿では大元に戻って、そのこと、つまりDNAの発見について紹介したい。実は、筆者も以下に述べる研究所を訪れる1980年代末まで知らなかったのだが、発見者が活躍した場所は、スイスの北西部の町バーゼルである。この町は、フランスとドイツの国境で、交通の要地であることから、昔から商業の町として栄えていた。その、人口30万ほどの町に、フリードリヒ・ミーシャ―研究所 (Friedirich Miesher Institute:以後FMIと略す) という小ぶりな研究所がある。このFMIは、歩道に面した小さな玄関から入るが、中は結構広い。食堂はノバルティス社と共用で大きく、献立も豊富だ。FMIの建物は、以前は、製薬会社チバ・ガイギーの研究所であったが、チバガイギーが同業のサンド社と合併してノバルティス社になった時から、FMIという名前になり、Publicにオープンな基礎研究所になった。研究所は、筆者が居た米国のロシュ分子生物学研究所や日本の三菱生命科学研究所や、あるいは、利根川進博士が居たロシュ・バーゼル免疫学研究所と同様、大企業に支援された基礎研究所だ。特徴は、RNAに研究の主力を置いていることである。現在の所長は女性で、スーザンGasser博士だ。私の昔からの友人ビテックFillipowicz博士がいる研究所でもあり、2度ほどこの研究所でセミナー講演をしたことがある。最初はキャップの話を、2度目にはウエルナー症候群の話をした。そのどちらかの折に、研究所の名前の由来などを聞いたのだが、答えは「この直ぐ近くを流れるライン川にはマスがたくさん上がってくるから、ミーシャ―はその精子に含まれる物質を調べたからだろう」ということだった。確かに、この町のライン川沿いには美味しいマス料理をだすレストランが幾つかある。

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