大学の講義を準備しながら思うことですが、分子生物学の進歩には凄まじいものを感じます。私は毎年同じ講義を繰り返したくないので、可能な限り、新しい話題をとり入れ、時には脱線したりしながら、自分の講義に対するモティベーションを保つようにしています。実際、論文レベルでは、教科書に掲載されていない内容がどんどん登場しますが、何を盛り込んだらよいか、いつも頭を悩まします。華々しく登場した話題もすぐに反論されて立ち消えになったりするので、話題は慎重に選ぶようにしています。講義で教える内容が毎年更新するこんなエキサイティングな学問分野は他になかなかないと思います。

分子生物学の目覚ましい進歩を支えているのは、技術革新だと思います。発現プロファイルの解析法だけでも、かつてDNAチップが登場し、細胞内の全RNAの発現プロファイルがいっぺんに解析できるようになり、新しい時代の到来を感じましたが、いまやそれが次世代シーケンサー (NGS) によるRNA-seqに置き換わり、さらにそれが一細胞レベルで解析できるようになるなんて、、テクノロジーの進歩は留まるところを知りません。ただ、データ量が増えて網羅性が増した分、個々の解析は若干いい加減になっていることを忘れてはいけません。RNA-seqで明らかな変化が見えても、duplicateを取ると優位でなかったり、後でノザンブロッティングやRT-PCRで定量するとどうもその変化が確認できないとか、よくある話です。網羅的な解析データを扱うには、正しい統計解析がますます重要になってきているのを感じています。数学が弱い私にはつらい話です。

 N6メチルアデノシン (m6A) は、真核生物におけるメジャーなmRNA修飾として、エピトランスクリプトミクスの分野で最も注目されている修飾です。m6A修飾自体は1970年代から、すでにその存在が知られてきましたが、ここにきて急に注目されたきっかけは、m6AをNGSを用いて網羅的にマッピングする方法 (m6A-seq) が開発されたからです。PolyA(+) RNAを適当に断片化して、抗m6A抗体で免疫沈降して、m6A修飾を含むRNA断片を濃縮し、NGSで網羅的に読む方法です。この方法でこれまでに多くのm6A修飾部位がマッピングされてきました。先日、イタリアでRNA editing & modificationのゴードンカンファレンス (GRC) があったのですが、そこでm6A-seqに関する興味深い発表がありました。GRCに先立って、若手がオーガナイズするGRSミーティングがあるのですが、そこで注目されたトークがいくつかGRCで披露されました。その中で、インフォマティクスを専門とする大学院生が、これまでに主要なラボから発表されたm6A-seqの配列データ (10セット以上) を入手して再解析をした結果について発表しました。duplicateのデータをきちんとした統計解析を行うと、マッピングの結果は、どのラボのデータも統計的に信用できるレベルに達していない、という衝撃の発表です。この学生と直接話をしたところ、要するにいまのm6A-seq法に代わる全く新しい原理に基づく手法の開発が不可欠である、というのが、この学生の結論です。もちろん、この発表に関してはいろいろな反論があるでしょうし、詳細は、この論文が公開されてからきちんと議論されるべきですが、一番の問題点は、現状で、網羅的にm6Aをマッピングする実用的な手法としてm6A-seqしか選択肢がない、という点です。全く異なる原理に基づいたマッピング法があれば、お互いの手法を検証することが可能になるのですが、現状でそうはなっていない点が問題と言えます。私たちも、m6A-seqを用いていますが、抗体の非特異的な結合を排除できない点や、仮に、m6Aのピークを検出できたとしても、その修飾率は全く分からない、という大きな問題点を感じています。同じような話が他の修飾のマッピングでも指摘されています。mRNA上にシュードウリジン (Ψ) が含まれていることがわかり、3つのグループが同時期に、それぞれトランスクリプトームワイドなΨのマッピング結果を報告しました。のちに、別のグループがこの3グループのマッピング結果の共通項をとったところ、わずか1か所しか共通の修飾部位が見つからないというショッキングな論文を発表します。この3グループはいずれも同じ原理に基づいた方法を用いていますが、この手法はrRNAやtRNA中にある修飾率の高い部位についてはうまく使えますが、mRNA中に存在する修飾率の低いΨについてはほぼうまくいかないことが判明しています。

 欧米の研究者は、アイデアをどんどん試し、それがよかろうが悪かろうがとりあえず論文にする。それが分野を作っていると言えばその通りかもしれませんが、後から遅れて登場する本家本元のしっかりした論文がいい加減な論文の二番煎じ的な扱いを受けていることもあると思います。トップジャーナルは一番乗りが好きなので、多少甘いところがあっても掲載する傾向がありますし、新しい手法はレヴューアーも詳しくないので、割とすんなり通ってしまうこともあるでしょう。新しく流行りだした分野ほど、この傾向が強いと思います。そういう意味でエピトランスクリプトミクスの今の現状はふわふわとした危うい雰囲気を感じます。技術的な限界があることを逆手に取り、エディターやレヴューアーが反論できないように論文を仕上げることも可能だと思います。自分の分野が注目されるのはいいことですが、明らかに間違っている論文が多いことも事実です。異分野から参入した研究者はこれらの論文に翻弄され、よからぬ方向に導かれることもあるでしょう。安易にコンセプトを組み立て、それを強引な手法でデータをまとめ上げてしまう風潮に私は全くついていけません。ただ、新しい研究手法を真っ先に取り入れ、それを最速で実践し、論文にまとめ上げてしまう逞しさや厚かましさは日本人のもっとも苦手なところですが、ある程度は学ぶべきかもしれません。新しいツールや手法を如何に厳格な生化学と結びつけながら研究を進めるか、それが今の私の課題です。皆さんはどう思われますか?

(追伸) 本日 (5/21) うれしいニュースが飛び込んできました。本学会評議員の泊幸秀さんがRNA societyのboard memberに選出されました。日本のRNA研究のプレゼンスを高めるためにも、ますますご活躍いただきたいと思います。