2020年12月末に、mRNAワクチンについて解説したエッセイを日本RNA学会のホームページに執筆した。このエッセイは、元々日本RNA学会の会員や医療関係者といった医学、生物学、生化学などの基礎知識がある人に書いたものだったが、予想外にTwitterやFacebookなどのSNSに取り上げられてしまった。また、文系の人でこれを読んだ方もいたようだ。鈴木さんや甲斐田さんは、これは立派なアウトリーチ活動 (一般向けへの専門技術解説) ですよと言ってくれたのだが、筆者としては世の中の情報拡散速度に、驚くばかりである。コロナ禍は大変な社会問題だが、この中で多くの人が “RNA”、というキーワードを知った事は重大だ。願わくは学会に参加する研究者、学生や、企業の協賛など少しでも増えてくれればいいと思っている。
前回のエッセイから8ヶ月がすぎ、ワクチンの影響について色々なことが判明してきた。今回のエッセイは、あまりRNAとは関係がないのだが、前回不明だった部分を補足しておく。筆者はワクチン研究はしておらず、mRNAワクチンの基盤技術として使われている核酸修飾および腫瘍ウイルスの研究者であることを記載しておく。
前回のエッセイで、このワクチンには3つの問題がある可能性を指摘した。1つ目は適切な温度管理が必要であるということ。2つ目は重度のアレルギー反応であるアナフィラキシーがみられること。3つ目は自己免疫疾患の可能性があることである。
1つ目の温度管理に関しては、冷凍庫が日本各地に配置されたので問題はない。
次に、2つ目のワクチン接種後のアナフィラキシーの頻度だ。アナフィラキシーは、mRNAを包む個体脂質ナノ粒子 (LNP) の安定化剤として入っているポリエチレングリコール (PEG) に対した反応と考えられている。2021年8月4日のデータでは、日本におけるmRNAワクチンによるアナフィラキシーの頻度は、100万人あたり5人となっている (ブライトン分類による)1)。この数値は、海外のデータとほぼ同一である。アナフィラキシーを示した人の大部分は、その場でエピネフリン (アドレナリンの別名) を投与すれば、問題なく回復する。筆者の住んでいる出雲市の人口は17万人なので、おそらく1名もアナフィラキシーを見ることがないという数値だ。ちなみに、PEGはインフルエンザワクチン (製造会社による) や、下剤、歯磨き粉、化粧品など色々なもの使われているほど、安全性が高く、ありふれた試薬だ。この試薬は、核酸やウイルス関連の実験でもよく使う試薬なので、これに反応する人がいることに大変驚いている。
また、3つ目の問題点としてまれな副反応として危惧していた、自己免疫疾患についても記載しておく。微生物に感染後、ごく稀に自己免疫疾患になることがある。例えば、鶏肉の生食による食中毒の原因菌として知られるカンピロバクター・ジェジュニは、ごく稀にギランバレー症候群を引き起こす。これは菌体成分 (LPS) の立体構造が、神経細胞に発現するガングリオシドGD1aと類似していることが原因である2) 。mRNAワクチンの場合、世界で1億人以上の人が接種しているが、自己免疫疾患の報告はない。一般的に感染症に伴い認められる自己免疫疾患は、感染後数週間以内に発症する。mRNAワクチンの副反応が数年たってから認められるということは、ほぼないと考えていいだろう (新型コロナウイルスに対する抗体価は、個人差があるが接種後少しづつ低くなるので、変な反応もおそらく生じないと予想される)。逆に、自己免疫疾患で治療中の患者さんであってもワクチン治療が推奨されており3)、今回のワクチンで、免疫機能に問題が生じることはないと思われる。
では、接種者が増えるにつれ出てきた、気になる追加情報はあるのだろうか。医薬品投与後、関連した好ましくないあらゆる医療上の事柄は、有害事象と呼ばれる。mRNAワクチンによる有害事象として明らかになったのが、心筋炎である。日本におけるワクチン接種後の心筋炎の発症頻度は、2021年8月4日のデータで、100万人あたり1.1人という数値であった1)。心筋炎の大部分は軽症だが、若年の男性に多いという特徴がある。実はこのような稀な有害事象は、あらゆる医薬品に認められる。医薬品というのは、使用するとかなり高い確率で、我々に利益をもたらす。ただし100%安全な医薬品 (ワクチンを含む) は、世の中には存在しない。つまり、大事なことはワクチン接種後、異常を感じたらすぐに医療機関に行くことである。
もう1つ重要な話を記載しておく。今、話題のデルタ株である。色々な報道があるが、mRNAワクチンはデルタ株にも有効である4)。海外ではワクチン接種者にも感染が出ている (これをブレイクスルー感染という) が、その大部分は入院には至っていない5)。同様な現象は日本でも報告されており、各自治体等の報告によると、ブレイクスルー感染者のうちの重症者の割合は、未接種の感染者と比較して大きく低下している。今後、国全体の大規模な調査の結果が待たれるところである。また、65歳以上の感染者の入院率が、かなり以前より減少していることも、ワクチンの効果を立証している。ワクチン接種の本来の目的は、“感染症による影響をできるだけ軽いものにする”ということである。これは、現在のバージョンのmRNAワクチンでも十分に達成している。もちろん、ワクチン接種したからといって、免疫を超える量のウイルスに暴露されれば、感染してしまうこともある。だから、もうしばらくはマスクも必要となってくる。
mRNAワクチンの技術的な面の解説は、古市先生の一連のエッセイ (25話、26話、27話、28話、29話、30話) をよく読んでいただきたい。医療面の情報の大部分は、厚生労働省のホームページに記載されている。ネットの怪しい情報ではなく、できるだけ正しい情報を読んで、自分自身の決断でワクチン接種することを推奨したい。
参考文献
1. https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000816488.pdf
2. Yuki N et al. Infect Immun. 1994 May;62(5):2101-3.
3. https://www.ryumachi-jp.com/information/medical/covid-19/
4. Liu J et al. Nature 2021 Aug;596(7871):273-275.
5. Lopez Bernal J et al. N Engl J Med. 2021 Aug 12;385(7):585-594.