東京で開かれたRNA学会へは、古い野球帽をかぶって出かけた。帽子は、45年前に、米国のシャトキン研究室 (Dr. Aaron Shatkin) で、筆者がレオウイルスのメッセンジャーRNAがm7GpppGmという構造で始まることを発見し、論文がPNAS誌に載ることになった時に、記念に創られたものだ (写真1)。アルバという、当時30歳ほどで、イタリア系の姉御肌の女性テクニシャンがーーー研究室からの大発見を喜び、自腹を切って帽子を作り、秘書を含めて8人ほどの全員に配ってお祝いした時のものだ。額の部分に7meGpppGMeの印刷が入っている。彼女のデザインで、ニューヨークの、彼女のアパートに近い帽子屋で作ったそうだ。筆者は、ときおり、ゴルフへ出かける時にかぶって行ってこともあったが、このところ10年ほどは、―――使った記憶がなかった。何度か、洗濯もしているので、文字は、くすんではいるが、形ははまだシッカリしている。よく見ると、同じメチル基でも7位と2'位のメチルが、小文字meと大文字のMeに別れているのがおかしい。
図1.アルバが作ったキャップ記念の野球帽
最近の研究では、7位のメチル基はタンパク合成に重要で、2'位のメチル基は免疫に絡んでいるらしく、機能が違うから、二つのメチル基をmeとMeに使い分けた、アルバの感覚は正しかったとも言える。アルバには、しばらく会ってないが、今度、会ったらそんなことも伝えたいがーーーそれは、どうでもよくーーー昔の帽子を大事にしていたことを、きっと喜ぶに違いない。今年3月に、シャトキン研究室でキャップの研究をやっていたポスドク5人がフロリダで集まって恒例の同期会をやったが、うち3人がこの帽子を持ってきていたから立派だ。当時はまだ、m7GpppGmの構造にキャップのニックネームがついていないから、キャップ構造を印刷した野球帽 (キャップ) を作ったのはーーーとても気の利いたーーージョークだった。キャップ命名の由縁については第2話で紹介したが、案外、こんな帽子を作ったアルバのセンスが的を得ていて、そのせいで、キャップという名前に落ち着いたのかもしれない。アルバについてはこのあとでも紹介したい。
さて、RNA学会へ、この古い帽子をかぶって、東大本郷の伊藤ホールへ出かけたのだったが、会場へ入って行っても、誰も気が付かないようだった。最初に気が付いたのは塩見春彦さんだった。「あれっ、その帽子は?―――見せて、見せてーーー」ということで、ようやく古いキャップの由緒話で、挨拶が弾んだ。
RNA学会・名誉会員
その、RNA学会で、老生には嬉しいことがあった。2日目の総会で鈴木勉会長に、これまでの業績を紹介して頂き、名誉会員へノミネートして頂いたことだった。出席の会員の皆さんの拍手で承認してもらい、大塚栄子さんと並んで、3、4人目の名誉会員に選んで頂いた。賞金も記念品も出るわけではないが、Recognitionという意味で、とても嬉しく、RNA学会の東京大会は私にとって、生涯の良い思い出となった。懇親会では、古いキャップをかぶって過ごし、皆さんからお祝いの言葉をもらい、忘れられない夜になった。ありがとう。
アルバ(Ms. Alba LaFiandra)
研究室のテクニシャンが、自腹を切って、帽子を作って研究室からの新発見を祝ってくれるというような話はーーー他に聞いたことがない、アルバ (Ms. Alba LaFiandra) は、シャトキン博士がロシュ分子生物学研究所で研究室をスタートした時に、最初に採用したテクニシャンで、そのこともあってーーー彼女は独身だが、ラボでは“肝っ玉母さん役”を演じていてーーー新着のポスドクには怖い存在だった。何故か、アルバに睨まれると、身の置き所がなくなるほどの、怖い女性だった (図2)。
図2:アルバ・ラフィアンドラ (右) と、シャトキン研究室の秘書ジャネット・ハンセン (中央)、故アーロン・シャトキン博士 (左)。この稿の時点から約10年後に、筆者が訪問した時の写真。
アルバは、普段は、HeLa細胞の大量培養とレオウイルスの精製を担当していて、研究室の大底を支えていた。もう一人のテクニシャンのモーリンは、頼まれやすい人柄だから忙しい。シャトキン博士の発案になる実験をやったり、外の研究室との共同研究の実験で、ウイルスmRNAを注文に応じて作ったり、キャップの分析もする。私の手伝いでは、超遠心機を廻して生化学的分析をやってくれたりもしていた。日本では (遺伝研では)、全ての実験を自分でやっていたので、実験の一部でも、肩代わりしてやってくれるモーリンのような優秀なテクニシャンはありがたかった。「インフルエンザのキャップ拉致反応」(第4話で紹介) の大発見につながった共同研究で、NY (city) にあるスローンケタリング・がん癌研究所のクルーク (Robert Krug) 博士の研究室へ送った大量のレオウイルスmRNAは、ーーーだから、アルバが精製したレオウイルスを使って、モーリンがin vitro 転写によって作ったものだった。この二人の女性テクニシャンの働きが無ければ、インフルエンザウイルスの奇妙なキャップ拉致反応の発見は遅れたに違いないし、シオノギ製薬が開発したゾフルーザ (キャップ拉致反応・阻害剤;今年の冬に、500万人のインフル罹患者を救った) もどうなっていたか判らない。
私は、モーリンには、以前より、I will make you the most famous technician (世界で最も有名なテクニシャンにしてやる) と言って励まし、実験をせき立てていた関係上、発表論文には彼女を常に共著者としていたが、アルバには、それができなくて、申し訳なく思っていた、ーーー「データに近いほど、発表論文に近い」のが研究の常である。
その点、研究室の大底で貢献しているアルバにはーーー残念ながら、データからは遠かった。
「カエルを飼ってくれないか」
キャップの研究潮流が、キャップ結合タンパクなど、タンパク合成への関与を探る研究へ向かって、進み始めた1976年、筆者は、アルバに「アフリカツメガエルの卵母細胞が欲しいので、カエルを飼ってくれないか」と思い切って頼んだ。―――ことの発端は、先年、セントルイスのワシントン大へ行った時、当時まだ准教授だったボブRoeder博士 (Dr. Robert Roader:現ロックフェラー大教授) が、カエルの卵母細胞へプラスミドDNAをマイクロインジェクションする実験を見せてくれたことだった。その次の発端は、丁度この時期、英国から来たジョン・ガードン博士 (後に、2012年、山中伸弥博士とノーベル医学・生理学賞を共受賞) のセミナーを、シャトキン博士と2人でロックフェラー大へ聞きに行くという機会があったからである。そのセミナーで、ガードン博士のエレガントなマイクロインジェクションする実験に感激した。この時、ガードン博士は、ーーー実験方法のキャンペーンをするためなのかーーーアフリカツメガエルの卵母細胞へDNA注射している写真のカラープリントを持ってきていて、希望者に配っていた。筆者は、飛びつくように、このプリントをもらい、記念に、サインまでしてもらった (この値打ちものの写真を、お見せしたいが、―――なかなか、見つからないでいる)。
さて、この日の帰りに、車中でボスのシャトキン博士と相談した。
(筆者)「我々もマイクロインジェクション実験をやりましょう。キャップのついているmRNAと、ついてないRNAをカエルの卵母細胞へ注射して、Stabilityとタンパク合成を見ましょう」。
(シャトキン)「うむ、良いアイデアだが、それにはカエルを飼育しなければならんな、誰が飼う?」
(筆者)「モーリンは、多分、カエルが嫌いだ。アルバはどうでしょう?」
(シャトキン)「うむ、アルバか。彼女はタフだ。お前、アルバを、説得できるか? 」
(筆者)「やってみましょうーーーI will try it」
ーーーということで、翌日、アルバに、ガードン博士のサインいりの写真を見せながら、「こういう実験を我々もやりたい、ーーーそれには卵がいる、そして、それにはカエルがいる」と説いた。Roaderの研究室で見てきた、カエルを飼っている様子についても話した。アルバは、最初、驚いたようだったが、シャトキンと筆者の連携プレーもあって、結局、「やってくれる」ことになった。
ただ、カエルを細胞培養室へ入れたくはない。そこで、ガラス器具洗浄員が、夕方に、研究室を廻って汚れた器具を集めるために使う車付き桶 (80x100x80 cm) をアルバのパワーで借り受けて来た。そして、その大きな桶に浅く水を張って、彼女の実験室でカエルを飼うことにした。アルバはカエルのお腹から卵母細胞を取り出し、選別して、マイクロインジェクションに使える細胞を調製し、手術したカエルのお腹はホッチキスで張り戻すこともできるようになった。ただ、実験は“カエルが居ればいい”というものではない。操作顕微鏡は購入した。注射針を作る、自動注射針・調製機もーーー筆者は「ガラス管をバーナー炎で延ばせばいいではないか」と、日本的発想から、言ったのだが、ーーー彼女はアメリカ的な感覚から、シッカリ電気・注射針調製機を購入してーーーそれで、一応、マイクロインジェクション設備が、短期間のうちに出来上がった。
アルバと作ったNature Article 論文
実験は、まだスタートしていなかったが、アルバは楽しそうだった。カエルは、研究所では初めてだったから、「アルバがアフリカから来たカエルを飼っている」という噂がたって、事務部を含めて各階から、カエルを見に来る見物客が絶えない。また、見物客には、自動注射針調製機の実演 (ーーーこれが結構面白いーーー) を見せて帰すことになるので、しばらくは、その応対に忙しかった。―――後に、アルバは、シャトキン博士が創立するCABM研究所 (Center of Advanced Biotechnology and Medicine of New Jersey) へ移るが、その建物の設計・工事の最初から関わり、創立後にはメンテナンス・マネージャーとして、オフィスをかまえ、所長のシャトキンが亡くなるまで立派に努めることになる。筆者は、アルバの、あのカエル実験のセットアップの体験が、大きな自信になっていたのではないかと思っている。
さて、肝心の実験の方であるが、これは、非常にうまくいった。筆者は、この時までに、キャップ生合成のメカニズムを解明していたので13、レオウイルスmRNAに関して、m7GpppGm-、GpppG-、ppG- という頭を持つRNAを作ることが出来ていた25。
これら3種類の、5'末端が異なるmRNAを、32P-UTPを放射性トレーサーとして、アルバが調製したレオウイルスを使って、in vitroで調製した。ーーーレオウイルスの粒子内には、RNAポリメラーゼやキャッピング酵素が含まれているので、試験管内でmRNAを作ることが可能である。3種類のRNAをそれぞれ、アフリカツメガエルの卵母細胞に注射して、保温し、一定時間後にRNAを抽出して、グリセロール密度勾配遠心機で分画し、RNAのサイズや、タンパク合成活性をリボソームとの結合で調べると、ハッキリした結果が得られた。すなわちーーー、
- m7GpppGmを頭に持つRNAは安定で、リボソームに結合し、タンパク合成能力を持つ。
- GpppGを頭に持つRNAは安定だが、リボソームに結合できない。
- ppGを頭に持つRNAは不安定で、すぐに壊されて、モノヌクレオチドに分解される。分解は、5’ -> 3’方向に進み、RNAはエクソヌクレアーゼによりProcessive (とりついたまま) に分解される。分解産物はpNでありNpではない。―――など、ということが判った。
早速、論文にまとめ、Nature誌へ送った。すると、Natureは、一発で、これをArticle欄へ採択してくれた。著者やタイトルは以下のようである。
Furuichi Y, A. LaFiandra and AJ. Shatkin. 5'-Terminal structure and mRNA stability37.
筆者は、かねがね「一生に一度は、Nature 誌のArticleに載せる仕事をしたい」と、思っていたのでーーーその思いが達せられて、嬉しかった。では、アルバはどうだったろう?
Yes!この3人の著者によるNature Article論文を、アルバは、殊の外、喜んでいた。
もう一人のテクニシャンのモーリンとは、仲が悪い訳ではないが、モーリンが多くの論文に名前を連ねているのに対して、共著者なることが少なかったアルバにとって、このホームランのような目立った論文発表は、彼女が真に誇れる一発だったようだ。かくいう私もーーーこの、たった五つの単語 (five words) からなる、短いタイトルの論文を、大変気に入っている。論文の中身は、先に記載したように、盛りだくさんだが、シャトキンと相談の上、この論文のタイトルは、キャップのーーー最も重要な機能と思われるーーーStabilityに絞った。いうまでもないが、論文発表の際のタイトルは、非常に大事であるーーーなるべくなら、結論がハッキリわかるタイトルがいい。
あとがき
ResearchGateという、フェイスブックのような、ネット媒体があって、これまでに発表した論文がーーー「誰々によって、最近発表された論文にサイトされていますよ」ーーーと、知らせてくれる。この稿で紹介したアルバとのNature論文は、ResearchGateでは現在でも、人気者で、毎週、お知らせが入ってくる。一方、1975年にモーリン (Morgan) と作ったPNAS論文:
Furuichi, M. Morgan, S. Muthukrishnan and A.J. Shatkin: Reovirus messenger RNA contains a methylated, blocked 5'-terminal structure: m7G(5')ppp(5')GmpCp-7.
は、当時のCurrent Contentのサーチで「1975年Most cited paper」として選ばれたのだが、最近のResearchGateでは、この稿で紹介したアルバのNature論文に、後れを取るようになってしまっている。モーリンとのPNAS論文のタイトルも、Straightforwardで、とてもシンプルだ。そして、重要な結論がタイトルに表現されている。このあたりが、Mol. Cellular Biologyの初代エディターを務めた、故アーロン・シャトキン博士の文才というか、手腕というべきかもしれない。
さて、いま一つ、この稿を書いているお盆2日目の新聞に、第9話「数兆円の経済効果―PCRの発見」で紹介した天才カリー・マリス博士 (74歳) がロスアンゼルス郊外の自宅で、死去したと報じられていた。彼は、1993年にノーベル化学賞を受賞し、同年、日本国際賞も受賞している。素晴らしい発見により、その後は、輝かしい研究者人生を約束された人のはずだったが、1991年、東京でお会いした時、筆者はそんな感じを受けなかった。明るく振る舞ってはいたが、何か病的なひ弱さが感じられる人だった。
図3:1991年、訪日中のマリス博士 (左端) と都内のパーティで歓談。同伴者は、神奈川衛生研究所所長今井光信博士 (中央)、右端は筆者。
新聞の死亡欄には「死因は不明」とあるのにも、何か、気がひかれる。PCRの技術は医科学の進展に、途方もなく大きな貢献を果たし、現在もなお、「すたれない技術」で、お役にたっている。マリス博士の発見に感謝し、冥福を祈りたい。
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