渡辺公綱さんのご逝去の知らせを受けた時は、本当に驚きました。それは、彼が以前から体調がすぐれない程度の噂は耳にしたことはありましたが、それ程深刻な状態にあるとは認識していなかったからです。渡辺さんが他界されてしまった今、こうして彼との交友を回顧して、改めて過ぎ去った思い出を懐かしく思い出しております。
渡辺さんと親しくお付き合いを始めたのは、多分、当時、名古屋大学教授だった大澤省三先生が、「遺伝暗号の可変性」という題名で重点領域研究を始められてからだったと記憶しています。私は、その頃、特別推進研究を受けていたために班員になることは出来なくて、班友として総括班に所属し、班員の皆さんと交流させてもらいました。渡辺さんともこのようにして交流が始まったと思います。
どんな時でも笑顔で会話し、彼が会議に参加することで、自然にその雰囲気が和んでくるような不思議な魔法のような力を持つ方でした。大澤先生の重点領域研究は収束し、次に渡辺さんが代表になって別の重点領域研究が発足しました。このグループ研究の代表として、彼は十分にリーダーシップを発揮され大変に優れた業績を残されました。
この間、これらのグループ研究がコアになって、日本RNA学会が創立され、初代の私に次いで、渡辺さんが後任の会長になられ、我が国のRNA研究の発展に尽力されました。時あたかも、国際的にRNA研究が飛躍的に発展した時となり、日本RNA学会は確固たるコアを築いて現在に到っています。
この掛けがえない友人が、高齢の私より先に居なくなってしまうとは、夢にも想像しなかった出来事です。今は空しくそのご冥福をお祈りすることしか出来ず、深い喪失感にうちひしがれています。
(2016年晩秋)
写真1 筆者の退官シンポジウムにて座長を務められた際の渡辺先生
写真2 筆者の退官シンポジウム「International Symposium on Molecular Biology」にて。後列左端に渡辺先生。