HnRNAプロセシングの謎解明へ | プロローグ
前のエッセイで書いたが、1975年末には、HeLa細胞のHnRNAの5′末端にキャップがあり、3′末端にPolyAがあることがわかった。長いHnRNAをRNAポリメラーゼIIが合成し、キャップはその転写初期に付加され、m6Aが中間にあり、転写の終了時に別のポリメラーゼが3′末端にPolyAをつけるという様子が次第にわかってきて、HnRNA(~25,000ヌクレオチド)と細胞質mRNA(~3,000ヌクレオチド)のPrecursor-Productの関係は見えてきた。
しかし、長いHnRNAからどうして短いmRNAがプロセスされて出来るのだろうかという問題はーー風雲急を告げるーー問題ともなっていた。老生も、キャップ研究では、合成メカニズムやタンパク合成における役割など、色々、やらなければならないことが多かったが、“Methylation-coupled transcription”の旗を掲げてNAR論文2を書いている以上、転写の問題から、目を離すわけにはゆかない関心事だった。自身がこの問題に入る余裕はないが、若いポスドクたちのアドバイザー役をやっていて、――曰く、これからは、HeLa細胞のような多くのmRNAが関係する複雑な転写系ではダメ、細胞に似た転写を行っているウイルスを使う実験でなくてはならない。――曰く、mRNAがウイルスDNAのどこから読まれたものか、それがわかる様なマッピングができているDNAウイルスでなければならないなど、ご託宣をのべていた。実際、Darnell-Shatkin連合チームでは準備はできていて、ウイルスはアデノウイルスとSV40に絞られた。そして、アデノウイルスとSV40の核内RNAとmRNAに共通してキャップがあることを確認した(Sommer et al., 1976)16。
[後日談になるが、Darnell-Shatkinチームは、RNA splicing発見の先陣争いに勝利することができなかった。「惜しかった、我々は最も近くにいたのに!」とか、「We really missed it!」は、1977年以降、スプライシングについて話が及ぶと、DarnellやShatkin(それに私も)がため息と共に出る“ぼやき”である。敗戦の原因については別の機会に述べたい]
そんな折、1975年から1976年のある時、のちにRNAスプライシングの発見で1993年にノーベル賞を授与されることになる若い二人、Phil Sharp とRich Robertsがセミナーにやってきた(以後、PhilとRichと略す)。RNAスプライシング現象の発見は1977年だから、時期的には、ちょうどその約1年前だった。二人は、別々にShatkinに招ばれて、老生のいるCell Biology 部のランチタイムのセミナー講演に来たのだった。
ここでちょっと脱線して、老生の生涯の友ともなった、Aaron J. Shatkin博士について書いておきたい。そうでなくては、このあとの話が--どうもうまく--続かない。
Aaron J. ShatkinとJ. Virology誌、それから、Mol. Cell. Biology誌
Shatkin研究室はポスドク4人とテクニシャン2人、秘書一人の小さな研究室だったが、彼自身はJounal of Virology(JV)のEditor-in-Chiefであり、周囲はウイルス研究者とウイルスの話題が豊富だった。Darnell研のような大きな研究室では、ポスドクも多く、細胞とウイルスの両方について研究できるが、准教授(Associate professor)クラスの小さな研究室では単一種のウイルス研究でありRich(CSH:Cold spring harbor laboratory)もPhil (同じくCSH、この後MIT:Massachuset Inst. of Technologyへ就職)も、老生とほぼ同年齢の30歳代後半の若い研究者で、二人ともアデノウイルスをテーマに研究していた。
権威あるウイルス学雑誌のEditor-in-Chiefが「ちょっと来て、話をしてくれないか」と電話すれば、若いウイルス研究者にとっては、光栄なことであり、勉強にもなるので、喜んでやって来る。謝礼は$100程度で少ないが、ディナーでは話題が豊富で、情報交換も含め、良い刺激になる。老生はこのJVのEditorのすぐそばにいたということで、運がよかった。優れた多くのウイルス研究者と面識が出来たし、そこから共同研究が始まることもあり、彼らの研究室へセミナーに招かれて行くことも多かった。後年、帰国して「ロシュ分子生物学・國際シンポジューム:Drug Discovery」を4度、東京と鎌倉で開催したが、この時に築いた人脈で大いに助けられたものである。
Shatkin(以後アーロン)についてもう少し書くと、ーー米国微生物学会(ASM)の公式ジャーナルであるJV のEditor-in-Chiefのオフィスが、ロシュ社が丸抱えしている研究所の中にあるのはーー、なんとも日本の感覚では合点がいかないかもしれない。しかし、RIMBは、主にNIHにいた研究者によって創立されたので、創成期の1~2年間は、研究者の多くはNIHの職員のままでいたと思われる。多分アーロンはNIHにいた頃JVのEditorになり、RIMBに移ってもそのまま続けたのであろう。その後、ASMがスタートした第4の公式ジャーナルMolecular Cellular Biology (MCB、1980~)のEditor-in-Chiefとして、新しいジャーナルの創刊を行い、これに付き添って10年間Editor-in-Chief を務め、MCBをレベルの高い科学雑誌へと育てるのであるが、先のJVでの成功と、彼の清廉でフェアな態度のため、JVもMCBも、Editorのオフィスがロシュ社中にあってもASMは良しとしたのであろう。1990年からは、MCBのEditor-in-Chiefを弟子のNahum Sonenberg (キャップ結合タンパク、eIF4Eの項で、後日、紹介予定)へ譲るのだが、Sonenbergについては、来日回数も多いので、読者の中にも知っていられる方も多いであろう。老生はアーロンを助けてJVのassociate editor(1980~1985)をやっていたが、JVのEditor-in-Chief は、MCBの創刊にともない、Memorial Sloan-Kettering Cancer CenterのRobert Krugへ譲っている(Krug博士については、インフルエンザウイルスによるキャップsnatching反応の項で、後日、紹介予定)。アーロンは、日本での知名度は薄いが、京都大学の志村令郎先生が若い折からの親しい友人である。残念ながら、アーロンは2012年にがんのために亡くなっている。珍しいことに、彼の人柄や功績をしるした追悼文がPNAS誌17に載っていて、そのなかに老生との出会いなども出ている。
さて、PhilとRichのセミナーであるが、この時点二人ともCold Spring Harbor Laboratory(CSH) の研究者で、Philの方はやがてMITへ移るという予定であるとのことだった。CSHはニュ-ヨーク市から東へ、車で2時間ほどのところにあり、研究やシンポジュームで活発な研究所だ。二人のセミナー内容については、結論から先に言うと、二人共、Darnell グループと同様に、アデノウイルスのゲノムやHnRNAを前にして、五里霧中で途方にくれていた。ただ、アプローチの方法が異なっていた。
AdenoウイルスmRNAに共通の5’ capped long T1 oligonucleotideの発見
先にRich Robertsのほうから始めよう。Richはこのセミナーの後、のちにノーベル賞へのきっかけになった大事なコメントを、老生から聞いて帰るのであるが、それについて、すこし詳しく説明しよう。Richは、転写やウイルスの研究者ではなく、制限酵素の研究者であり、多くの酵素について切断配列を解析する研究を行い、アデノウイルスについては、切断サイトのモデルとして精密なマップを作っていた。彼は、放射性リン酸でラベルしたアデノウイルスの核内HnRNAと細胞質にあるウイルスmRNAを超遠心分離やOligo-dTカラムで精製し、RNAをリボヌクレアーゼT1(RNaseT1)で分解し、分解物を、CMセルロース上での電気泳動とホモクロマトグラフィーによる2次元クロマトグラフィー展開により, オートラジオグラフィーという技術で分析していた。彼が使っていたアデノウイルスは、感染の後期になると宿主のHeLa細胞を溶かして殺すタイプで、感染後期に細胞内で作られるmRNAは、全てウイルス由来で、それらは約12種類のmRNAからなることがわかっていた。
オートラジオグラフィーでは、RNaseT1の分解物であるから、Gp, NpGp, NpNpGpのようなGpで終わる多くの短いオリゴヌクレオチドの強いスポットが、画面いっぱいに広がる。Richは、ラベルする時期を変えたり、色々工夫していたが、特筆すべき結論のデータがないまま、彼のセミナーは終わった。ただ、オートラジオグラフィーの多くのデータをみながら、私はある不思議なことに気が付いていた。それは、2次元展開の原点に近い部分にきまって見える一つの小さなスポットである。ゴミと言っても済む小さなスポットであるが、どの画面にも必ず出ている再現性の良いスポットである。このスポットにRichは注意を払っていないようだった。
セミナーのあと、Richにアーロンのオフィスへ来てもらい、「あのスポットは長めのオリゴであって、モル比から察してアデノウイルスmRNAに共通のオリゴらしい。もしかすると、Capがついている5′末端のオリゴかもしれない」と考えを述べ、そして、どうやってCapを証明するかなど、方法についても丁寧にアドバイスした。丁度、Mike Bishopとの共同研究で、放射性リン酸でラベルしたCタイプがんウイルスの遺伝子RNAの5′末端がCapをもつことを証明した論文18が出たばかりだった。そこでは、RNase T2で分解した膨大な量のオリゴヌクレオチドのラベルの中から、Capをもつ5′末端oligonucleotideだけをm7Gのシスジオールを利用してDBAEホウ酸カラムを使って取り出す、という新しいキャップ分析技術を使っていた。この方法が、Richのオートラジオグラフィーの中の原点近くの小さなスポットについても、多くの放射性オリゴを避けて、Capを持っているかどうか調べるに適した方法であると思われた。老生のこのアドバイスはピタリあたった。彼はこの貴重なアイデアを持って帰り, アーロンと老生が教えた分析方法もうまく働き、その結果、RNase T1で分解したアデノウイルスmRNAから、m7GpppAmCU(C4U3)Gpというcapped undecanucleotideが単離でき、それは例のスポットに一致することがわかった、そして、その次のことが大きな驚きだった。それは12種類もある後期アデノウイルスmRNAすべてに共通して、長い5′ capped long T1 oligonucleotideがあるということも暗示していた19。
つまり、
HnRNA m7GpppAmCU(C4U3)Gp――――――――――――――PolyA (~25Kb)
↓
mRNA m7GpppAmCU(C4U3)Gp――――PolyA (~2-3Kb)
が12種のmRNAに起こっているということを意味していた。
私は、昔から、破天荒な思い付きを含めて、若い人にアドバイスをするのが好きだが、Rich Robertsに与えたこのアドバイスは中でも最高だった。この重要なCell論文19の末尾に、アーロンや私への謝辞ぐらい言ってくれてもいい話だが、残念ながら、入ってない。後年、ノーベル賞をとってから10年後、彼が鎌倉のエイジーン研究所へ私を訪ねて来てくれ、「あのアドバイスは最高だった」と感謝してもらったことぐらいが、老生へのささやかな勲章だ。諸君、良いアドバイスほど、ーークレジットが残るようにーー気をつけてやってくださいね。
このRichグループのエキサイティングなデータは、論文発表前にアーロンを介して聞き、「やはりそうだったか」というアイデアが的中したことの嬉しさはあったが、HnRNA中の多くのRNA配列が、Intervening sequenceとして除去されることになるSplicing反応については、思いもよらなかった。――どうしても、共通の長いUndecanucleotideよりなるm7GpppAmCU(C4U3)Gpが、各mRNA転写のリーダープライマーとなっているのではないかという方向へ頭は動いていた。実際、インフルエンザウイルスやVSVウイルスではそのような転写をするという情報が、我々の周囲にはあり、Philから驚愕のR-Loopの電子顕微鏡写真を見せてもらうまで、RNAスプライシングには思いが至らなかった。
ダーネルも彼の本、RNA11、の中で言っている:
A postdoctoral fellow came into my office one morning in 1975, and suggested “ Jim, maybe you cut out the middle and join both ends.” I laughed him off.
I was not wise enough to take the suggestion seriously.
私もアーロンも全く同じだった。
シャープ研究室からの、驚愕のR-Loopの電顕写真
1977年6月、老生はニューハンプシャー州のTilton校で開かれたゴードンカンファレンス「細胞とウイルス」へ出席していた。Tiltonのゴードンは、前年にキャップ発見の講演をして以来、気に入っている研究集会で、寄宿舎に5日間、世界中から集まってくる研究者と寝食を共にしていると、おおよそ今後の1年間に出てくるホットニュースが予見できるのである。このゴードンのある日、Phil Sharp(MIT)の研究室から驚愕のデータ(添付の電顕写真)が報告された。発表者は実際に実験を行ったSusan Bergetであったか、Phil本人であったか今はもう記憶にないが、腰が抜けるほどに驚いてしまった。同様のデータは、1~2週ほどの前のCSHでのシンポジュームで発表されたそうであるが、データを見たわけではなかったので半信半疑だったところはある。ただ、この電顕写真1枚に示されるアデノウイルスmRNAのデータが、HnRNAプロセシングの姿を文句なしに示していて、事の本質が私には一瞬にして判った(説明図添付)。アデノウイルスHnRNAの長い配列から(その後イントロンと呼ばれるようになった配列が)3か所にわたり切り取られて、mRNAが出来るのである。ゲノムの遺伝子発現が、バクテリアの場合と異なり、このようなスプリット(Split gene)方式で行われることが判った記念すべき時でもあった。RNAループ実験では、ハイブリダイズしたRNA・DNAは、フォルムアミド溶液中で2重鎖として安定なので、電顕写真の中では太い2重鎖の像として見える。一方、DNAは、この条件下では1本鎖なので、細い線としてしか見えない20。写真は、太いRNA・DNAの途中3か所で、細いDNAのループが飛び出していて、この部分のRNAがHnRNAから切り取られていることをハッキリ示していた(図参照)。
"Split Genes and RNA Splicing" by Philip Sharp (Nobel Lecture, December 8, 1993 から)
私はこの発表の直後、会場にいたPhilへ、「日本へこの大発見をトピックスとして伝えたいので、電顕写真を一枚貸してもらえないだろうか?」と頼み込み、彼がPNAS誌へ投稿中の論文21データの一部を示す写真を借り受けることが出来た。このゴードン学会では日本人参加者は老生一人だったので、この貴重な情報を日本へ知らすべく、当時多くの細胞生物研究者が購読していたタンパク質・核酸・酵素誌へトピックスとして「アデノウイルスのメッセンジャーRNAに関する新知見」を送った15。今、このトピックスを読み返してみると、当時の興奮が蘇ってくる。それから、40年が過ぎて、この思い出を書きながら、その写真を発見することが出来たので、今一度載せてもらうことにした。先週、久しぶりに、Philにメールして、彼自身が初めてその電顕写真を見た時の感想を聞いてみたのだが、「ノーベルLectureで話したとおりさ、----surprisingly and wonderfullyさ」――と、いともそっけないことであった。
さて、科学の進展は多くの方面から進められるのであるが、「新しいアイデアで突破口を開いた発見こそが最大の価値がある」と、老生は評価している。セレンディピティー(serendipity)に出会うのも才能のうちであり、恩師浮田忠之進先生(東大薬)のアドバイスYMW(やってみなければわからないだろう)はその才能を支える努力であろう。
とかく生物現象は、構造であれ、反応であれ、いったんシナリオが判ると、確認の実験や、細かいメカニズムの解明など、さらなる研究が始まり、世界中の研究室が動き始めるのが常である。その後、Darnell先生の研究室を中心とするロックフェラー大学からも多くの追加論文がCellなどへ発表された。登山で言えば9合目までを着実に登っていたDarnell先生の悔しさは如何ばかりであったろうか。Darnell先生が好んだ古典的なSucrose密度勾配超遠心の技法は、HnRNAの発見から始まり、mRNAの生成や、プロモーター位置の決定など、登山の9合目口までの道程を確実に導いたことは間違いない。ただ、最後の頂上アタックに必要だったRループ/電顕写真のアプローチを早期に手配しておかなかったことが、悔やまれるところである。新技術を、勇気をもって試すチャレンジ精神は、RNA研究では時代を越えて重要であり、それでなくてはやってゆけまい。
Cell誌の勃興
NatureやScience誌は、1970年代にも、「研究者が一生に一度は論文を掲載したい」と思う憧れの科学雑誌であった。一方、J.Mol.Biol誌やJ.Biol.Chem誌は、多量のデータを含むシッカリした結論の論文を発表する場として、こちらも垂涎の的ともいうべき雑誌であったが、ピーアレビューの建前と、郵送方式で論文原稿が運送されるため、投稿から発表になるまでに時間がかかった。研究競争が激しくなるにつれ、RNA研究に関連ある雑誌として、1974年から学会基盤のNAR(Nucleic Acids Research)誌と、商業誌としてCellが刊行になった。Cell誌は、米国ボストン地区で創刊になり、Ben Lewinが編集長(Producerも兼任だったのかもしれない)であり、Materials and Methodsが論文の後ろにあったり、データのカラー表示が良いなど、色々と新しい工夫が盛り込まれ、“たちまちのうちに”米国東部では人気の科学雑誌に、そして、世界でも評判の、格の高い雑誌になっていった。
Cellには、この項で述べたHnRNAのプロセシングに関する論文が多く載っているが、創刊時に、読者の興味の高いテーマを、頻繁にかつ迅速に、Ben Lewinの裁量で発表していったことが、現在のCitation Index最高位雑誌に上り詰めた理由であろう。思えばRNAスプライシングなど米国東部でなされた発見と研究競争が「Cellを育てた」とも言える。Ben自身もシンポジュームに頻繁に姿を見せ、評判の高い研究成果をハントしているようであったし、Benへ電話してから論文を書く著者もいるようであったから、ーー老生には「悔しいが、日本からはーー、日本人には難しいな」と残念に思えたことであった。
***
次回は、インフルエンザウイルスが感染後に核内で行う転写反応、ーーBob Krugの、キャップオリゴ拉致・転写反応の発見ーーについて、そのエピソードを記したい。この反応は面白い、ーーが、皮肉なことに、HnRNAのスプライシングに関して、私を含むDarnell-Shatkin連合チームを間違った方向へ引っ張った反応でもあった。
(了)
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References
16. Sommer S, Salditt-Georgieff M, Bachenheimer S, Darnell JE, Furuichi Y, Morgan M, Shatkin AJ.
Nucleic Acids Res. 1976 Mar;3(3):749-765.
PMID: 1272797
17. Amiya K. Banerjee
Proc Natl Acad Sci U S A. (2012) 109(46):18629-18630.
18. Furuichi Y, Shatkin AJ, Stavnezer E, Bishop JM.
Nature. 1975 Oct 16;257(5527):618-620.
PMID: 170541 PDF
19. Gelinas RE, Roberts RJ.
Cell. 1977 Jul;11(3):533-544.
PMID: 884734
20. Thomas M, White RL, Davis RW.
Proc Natl Acad Sci U S A. 1976 Jul;73(7):2294-2298.
PMID: 781674
21. Berget SM, Moore C, Sharp PA.
Proc Natl Acad Sci U S A. 1977 Aug;74(8):3171-3175.
PMID: 269380