日々、いろいろ気になることやものがある。その中の幾つかは長く頭の片隅に留まり、時をおいて、ふと、頭のあちこちにぶつかりながらしばらくとりとめのない思索を強いる。たとえば、こんなことが気になる。
宮沢賢治の物語や詩には「黄いろなかげとおふたりで」とか、「黄いろな電車がすべつてくる」とか、「黄いろな」という表現があちこちに見られる。彼または彼が生きた時代の人々は「黄いろ」を形容詞ではなく形容動詞として使っていたのでしょうか? それともこれは彼固有の癖なのでしょうか?
数年前、植物の小分子RNAに関する総説を幾つかまとめて讀んだことがある。その中の一つにこんな文章を見つけた。そして、時々思い出す。
miRNA cloning and sequencing revealed the presence of several urine residues at the 3’ end in hen1 mutants, indicating that unmethylated miRNAs are prone to an unknown enzymatic activity that leads to oligo-uridylation.
(Ramachandran & Chen, 2008, Trends Plant Sci)
urine? 出版される前に、著者2名、おそらく、レフリーも2名、そして、エディター(と、さらに最終校正者)の少なくとも5名程度はこの原稿を讀んでいるはずです。全員が見逃したのでしょうか? いわゆる、ヒューマンエラーの連鎖なのか?
福島第一原子力発電所の事故から5 年が経過した。常々気になっていたことは、これは誰が設計し、建設したものなのかということです。その点に関する情報が欠けている。幾つか関連の本を讀むと答えは見つかる。福島第一原発にある六基の沸騰水型原子炉は、1960年代から70年代前半にゼネラルエレクトリック(GE)社が設計し、世界中に建設した型式。でも、なぜ、日本政府やマスコミはこのことを言わないのか?さらに讀んでいるとその答えらしきものに出会う。GEが売り込むときに免責規定を作って、事故が起こっても賠償はしないという契約をした。同じやり方で今度は日本(の会社)が東南アジアに原発を売り込んでいるのでしょうか?
mRNAは単なるタンパク質合成のための鋳型ではなく、miRNAや各種RNA結合タンパク質の認識配列等様々な情報を有している。このため、従来のように、mRNAを集合として捉え、その平均を評価するのではなく、各mRNAと細胞システムとの双方向作用を個別に解析し、あるmRNAと細胞システムとの相互作用の結果がどのように他のmRNAと細胞システムに影響を与え、それらが全体としてどのような挙動を示すか、すなわち、「各mRNAが持つメッセージ(または異質性)がどのように讀み取られ、それがどのように全体の形成に関与するか」ということが問題になる。この簡単な例がmiRNAとそのスポンジRNA(またはceRNA)。哺乳類の場合、細胞当たりのmRNA分子数は105-106と見積もられており、この中で、発現量の高い遺伝子は104程度、低いものは数十コピー。ここからこんなことを思うーーー海鳥のおおきなコロニーが豊富な食料源を必要とするように、mRNAもその発現制御に関する豊富な資源を必要とする。資源に限りがある場合、同じmRNA種内の個々の分子間で競合がおこり、それら資源は枯渇する。したがって、個々のmRNAは別の資源を利用するか別の場所に資源を求めるか、または死滅するかの選択を迫られる。異なる幾つものmRNA種が同じ細胞に発現する場合、ある種の棲み分けが無いかぎり、mRNA種間で競合が起こり、あるmRNA種の発現変化は資源の利用可能量を通して、別のmRNA種の発現を調節する。このように個々のmRNAとその認識分子の反応により、mRNA制御系全体が網目状に繋がっている。したがって、個々の反応はそのネットワーク全体にゆらぎをもたらす。これは、つまり、細胞内mRNAエコシステムである。このエコシステムに内包される多様な認識分子が形づくる自己構成ネットワークこそが細胞個性の本体にほかならない(壮大やねー、ほんまかいな?)。最近、こんなことを考えながら、そう言えば、学生の頃、免疫学における自己と非自己に関するイェルネ(Niels Jerne)のイディオタイプ・ネットワーク仮説というのを学んだことを思い出した。あれはどうなったのだろう?
現在の分子生物学が、あらゆる還元主義的方法を駆使して作り上げるインターロイキンとそのレセプターによって成立する王国の前では、ネットワーク説はあまりにも形而上的であった。一九八◯年代後半に入ると、もはやネットワーク説に言及する者さえいなくなった。しかし、イェルネのネットワーク説は、神のいない完結したシステムが、過不足なく働くための原理についての凄味のあるモデルであることを依然としてやめない。いつかはそこに戻らなければならないと免疫学者の一部は考えている。しかし、いまはそれに言及するのはタブーである。
多田富雄 『免疫の意味論』
熊谷守一の画文集『ひとりたのしむ』の中に次のようなことが書いてあるそうです。「地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年も見ていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」(坪内稔典『四季の名言』)。左の二番目の足が選ばれた理由を合目的的に説明することはできるのでしょうか?でも、とにかく、天気のいい日には左の二番目の足を見に御苑にでも行ってみようか。
写真の石は恐竜の胃石(Dinosaur Gastrolith)です。おそらく、1億5千万年ほど前の中生代ジュラ紀のものです。信じるしかありませんが。見てきたようなことを言いますが、恐竜は何でも丸呑みにした、でも、胃の中にこのような石をたくさん持っており、それで食べ物をすり潰して消化していた。胃の中ですりあわされていたため、摩耗して角が取れ丸くなっています。このなんとなくヌメーとした光沢感から、この石に恐竜の胃液や獲物の血や草木の汁が染み込んでいるような印象を受けます。しかも、その怪しげなツヤは縦横に走る亀裂の奥深くにそれらの、そして体内細菌叢のDNAがまだ残っているような気にさせます。
(私はこの「むらさきなひばり」というのが気になります。その後に出てくる「黄金」には‘きん’のルビがうってあります)
(2016年3月)