アメリカのコロラド、キーストーンで行われたKeystone Symposia「Small RNA Silencing: Little Guides, Big Biology」から帰国した。標高はビレッジベースでほぼ2,800mとある。空気は薄く(息を吸い込む時、鼻内腔で感じる抵抗が明らかに少なく、思わず過呼吸のような状態になるが得られる酸素は勿論少ない)、気温は最高でもマイナス5度くらいか。これに日米間の時差16時間が加わる‘三重苦’と一人戦う夜は、心理的にとても長い。

キーストーンは初めてではない。ああ、前もこんな感じだったな、と、記憶は頭の奥の方から蘇り、よって驚きもパニックもない。が、辛いものは辛い。このまま朝までぐっすり寝られたらどんなに楽だろうと、とぎれとぎれになったシナプスで、それでも嘆いたり願ったりするものの、思うようにはいかない。仕舞には、キーストーンにはもう絶対に来ない、と心に誓ったりもする。が、快晴の中、くたびれた心身をなんとかなだめつつ、ようやくたどり着いた会場で面白い発表や、あっと驚かせる未発表データに出会うものなら、そんな身勝手な考えは跡形もなく消え去る。

3日目、Ian McRaeのAGO/ガイドRNA/TNRC6からなるLiquid Dropletの話はとても面白かった。Dropletが含むものは脂質分子ではなくRNPである。この単なるRNP Dropletが油滴のような振る舞いをする様子は、ビデオで鮮明に紹介された。ディスオーダーだらけで立体構造をとり難いTNRC6がDroplet形成の源であるらしい。これにW結合ポケットを介してガイドRNAとRISCを形成したAGOが寄り添う。このDropletは、まるでドレッシングに浮かぶ油滴にように、お互いに触れただけで融合し成長する。遠心で沈降させたDropletに、ガイドRNAと相補的な標的RNAを共存させると、標的のみがDropletに飲み込まれAGO-Slicerによって切断される(そして、おそらく放り出される)。標的とならないRNAは、Dropletに無視され中にいれてもらえない。塩基配列を見極めるRNAシュレッダーマシーンとでもいおうか。そして、これがまさに細胞質内に点在するTNRC6陽性構造体に相当するそうだ。ガイドRNAがmiRNAの場合、標的mRNAはAGO-Slicerによって切断されないとしても、この構造体にはリボソームやその他の必須因子が一同に入るこむ余地は(おそらく)なく、必然的に翻訳は抑制される(であろう)。RNA分解酵素はどうなのだろう。Dropletの隙間に入り込み、役割を果たすことができるのか。分解も起こらないとすると、何かの拍子に構造体が崩壊した場合、mRNAが細胞質に放り出され翻訳は回復するのか。構造体を壊す何かの拍子とは何があり得るのだろう。あるいは、このDropletをうまく利用すれば、miRNAの正真正銘の内在性標的mRNAを、網羅的に、しかも簡単に単離精製・同定できるかも、などと、調子が悪いままの神経回路は、それでも自由気ままにとめどもなく信号を送り、考えは巡る。小さい頃、自分が‘水’だったらどのように自然界を‘旅’するのだろう、となぞらえる癖があった。下水から(なぜか、常に始まりは下水だった)地下にいき、植物の体内を巡る、個体の外にでると蒸気となり天に昇る、そして雨となって地下奥深くに入り込む、云々かんぬん。それに少なからず似た状態だ。大学のオフィスとは異なり障害物は何もなく、行き先のあてもなく思考は続く。それはそれでラグジュアリーであるが、困ったことに発表を置き去りにして、一人違った世界に入り込んでしまう。そして、ふと、ある時点で正気にもどるのであるが、発表はとうに終わっていたりして、困惑する。

共同研究者であるN研のMくんがPIWIタンパク質の構造を解いてくれた。ドメイン構造に関してはこれまでにも幾つか論文は発表されている。が、今回の構造は殆ど全長に近く、快挙である。タイミング的には、私のキーストーンでの発表に合わせてくれたといって良い程で、出発の1日前にPPTを送ってくれた。全体構造、ムービー、そしてAGO構造との比較。詳細は論文投稿前なので控えるが、それは、それは、美しい。最後の5分を使っての紹介となったが、このような機会を持てたことは、幸運としかいいようがない。session途中ではあったが、発表後半時間程してEmailをひとつ受け取った。ヨーロッパにいるpiRNA研究者からである。Very nice! Happy to hear it. Congrats. とあった。会場の誰かが早速報告をしたようである。たったの32文字であるが、不意の便りが嬉しく、その場でThank you! と返事をした。彼とは4月に出会うことになっている。成果をシェアできる時が楽しみである。

ちょうど一年ほど前、すんでの所でスクープされかけた論文を急いで投稿した。生殖細胞のマーカーとして長年知られるDEADボックス型RNAヘリカーゼVasaのpiRNA機構における機能を示唆した論文である。AGO-Slicerによって切断されたRNAは、切断後、AGOから自ずと解離する。一方、PIWIの場合、切断されたRNAはPIWIに結合したまま残る。AGOに切断されたRNAは、切断後、細胞質で消え行く運命にあるため、AGOはそれらRNAに無関心でケアしない。しかし、PIWIに切断されたRNAは、新しいpiRNAを生成するための基質となるため、Slicer反応後、PIWIにはそれを大事に保持する。しかし保持したままではPing-Pong機構は動かない。新規piRNAを受け取る因子がやってきて反応の進行が整った状態になるとはじめて、特定の因子が作用しRNAをそっとPIWIから引き剥がすのである。では、一体このPIWI-標的RNA解離因子は誰なのか? 並行して行われた実験の結果、我々はVasaがそれに相当するのではないかと推測した。せっせとリコンビナントVasaを作り、切断されたRNAを捉えたままのPIWIに作用させてみた。予想通り、ATP存在下でVasaはRNAをPIWIから引き剥がした。ATPを加水分解できないVasa変異体にはその活性はみられない。これがこの論文の主旨である。実験に実験を重ね、得られた結果からモデルをたてる。そして予想された通りの結果を得たときは、小躍りしたくなるほど嬉しい。が、先にも述べたように、スクープ寸前ということで、結局、undersellを逃れることはできなかった。論文発表後、しばらくしてヨーロッパのpiRNA研究者がEmailをくれた。それにはWhat a beautiful work. Congats.とあった。申し添えておくが、先に登場した研究者とは違う人物である。これを受け取ったとて、なんら状況が変わるわけではないが、ようやく報われた気がしたことは言うまでもない。

AGOと異なりPIWIは、切断した標的RNAを次のステップが整うまで大事に保持する。この繊細さ、慎重さが、PIWIの構造から読み解けると非常に嬉しい。Vasaは特定のPIWIにのみ作用し、その姉妹分子には見向きもしない。その気高さも読み解けたら、と心は逸る。キーストーンのような、遠くて寒い場所での国際学会もあるけれど(機会があったらまた行きます!)、生命科学研究のフロントで、その歩みと寄り添う立ち位置にいられることを、単純に嬉しくおもう。