オックスフォードに留学してから5年以上が経過し、さて今後どうするかと考えていた2015年大晦日に、寄稿依頼をいただきました。乱文になりますが、自分を振り返りながら、留学生活や今後の目標について書き綴りたいと思います。

留学のきっかけ

私のRNAとの出会いは、大学生時代まで遡ります。所属する研究室を決める直前、図書館でパラパラと眺めていた科学雑誌の中で、RNA polymerase II (Pol II) C末端ドメインを介したRNAプロセシング制御の研究を紹介した記事が強く印象に残りました。それがきっかけとなり、私の在籍していた大学で教鞭を執られていた水本清久先生(当時北里大)の御指導の下、Pol II 転写中に起きるmRNA 5’末端キャップ反応を研究しました。博士課程では、東京医科歯科大学大学院に進学し、萩原正敏先生(現京大)にお世話になりました。萩原研究室では転写と共役したin vitroスプライシング反応系の開発に従事しました。萩原研究室は大変居心地が良く、ついつい長居してしまいました。安心できる環境の中で研究を行うのは、研究者にとって大変大事なことだと思うのですが、その一方、研究者の成長を止めてしまうこともあります。当時は、萩原先生に特任助教のポジションと小さいグループをいただいており、自分の好きな研究ができていましたが、客観的に見れば英語もろくにしゃべれない未熟な駆け出しの研究者でした。世界レベルで活躍できる研究者を目指すため、実践的な英語を身につけ、成長できる刺激的な環境に身を置こうと留学を決意しました。

留学のはじまり

では、留学先はどの研究室がいいのか。水本研究室で5’ キャップ反応、萩原研究室ではスプライシング反応を研究していました。RNAプロセシング研究を全て経験したかったので「次は3’ プロセシングにしよう」と、ポリA付加配列を発見したオックスフォード大学のNicholas Proudfoot教授(以降Nick)に、慎重に慎重を重ねて三日ほどかけて作成したメールを送信してみたところ、数時間のうちに「いつから始めたい?」という返事をいただきました。研究室訪問もなく、ましてjob interview もなく、あっけなく留学先が決まりました。

後日Nickから教えていただいたのですが、以前Dunn school でご活躍され、萩原研究室でお世話になった木村宏先生(東工大)に書いていただいた推薦状が印象的で、Nickの決め手になったようです。さらにタイミング良くベンチスペースが空き、Nickが大型研究費を獲得したばかりで上機嫌だったという、なんとも幸運なタイミングでした。人との繋がりとタイミングが留学先を決定する上で重要なのかもしれません。

留学にはいくつか方法があると思うのですが、その中で一番受け入れ先のボスが嬉しいのは、ポスドク自身がフェローシップを獲得してくることではないでしょうか。ボスにとっては、1~2年のお試し期間になるからです。私も、やんわりとNickに「フェローシップは取れないか」と聞かれました。幸運にも、上原財団からの御支援を頂き、オックスフォードでの研究生活をスタートすることができました。

オックスフォードはロンドンから車で1時間ほど、ヒースロー空港までも40分ほどの便利な場所にあります。素敵なカレッジが多く、歴史的な景観が残されています。また、アカデミックな街であり、全世界から優秀な学生が集まる国際色豊かな場所です。オックスフォードは日本人にとって住みやすい街ではないでしょうか。時間はゆっくりと流れ、小さい子供にやさしい街なので、家族で滞在するには非常に良いと思います。但し、物価や家賃は日本に比べると遥かに高いです。

私の所属しているDunn school には、カフェテリアが中心部にあり、研究室同士の交流に役立っています。その甲斐もあって、私も幾つかのグループと共同研究をしています。また、毎週のように有名な研究者が訪れ、最新の研究動向を知ることができます。このような環境は留学の醍醐味のひとつだと言えます。ちなみに、今週はPeter (Cook) がホストで、彼の学生であったAna Pombo博士(MDC, Berlin)に最近開発したLigation-free 3D chromatin topology 測定方法をご講義していただきました。

留学先での研究

Nick のグループに参加した際、幾つかのリサーチプラン用意していました。その中で、初めはNickの研究テーマに近い、早く纏められそうな現実的な研究をしようと決めていました。当時、Nick のグループには十数名の優秀なポスドクがいて、できるかどうかわからない新参者に、最初から大きい投資をするのは難しいと考えたからです。さらに留学してわかったことですが、規模の大きい研究室の場合、一番手強いcompetitor は同じ研究室内にいる場合が多いです。まずボスとの信頼関係をできるだけ強固にすることが、研究留学生活において重要なのではないでしょうか。幸運にも、最初の論文は1年目で形が見えてきて、Nickの信頼を勝ち得ることができました。

研究者生活の本当のはじまり

オックスフォードに来てから最初の論文を世に送り出すのに、かれこれ2年弱かかりました。この時点で、やっと英語にも慣れ始め、良い研究を見極めるコツがなんとなくわかってきました。帰国のことも頭に過りましたが、萩原先生の経験談を思い出しました。「CellNatureScienceの主要3 誌のいずれかに論文が掲載されるまで日本の土を踏むな」(萩原先生のエッセーから引用)。これは萩原先生の恩師、日高弘義先生が留学する萩原先生に宛てた金言です。留学前、萩原先生も私に同メッセージを送ってくださいました。一報目がCell Reports誌に掲載されたため、次の目標は主要3誌のいずれかとしました。

留学する前に一つだけ決めていたことがあります。留学中に、「研究者人生の主柱となるテーマを確立する」という目標です。私の場合、研究の世界に足を踏み入れた時から続いている興味、転写中に起きている現象を明らかにしたいという研究に関連します。多くの研究からスプライシング、ポリA部位切断、マイクロRNA前駆体成熟などのRNAプロセシング反応は、転写と共役して起こると示唆されていました。しかしながら、細胞内で起きているそれらの現象をネイティブな状態で検出した例はありませんでした。解析系が無いなら、作ってみようと考えました。そう考えたのも、少しばかりその手掛かりがあったのです。一報目の論文で、未成熟な転写産物が濃縮されクロマチン画分を生化学的に単離することに成功し、そこに活性Pol II転写複合体が存在していると確信がありました。試行錯誤の末、単離したクロマチンをネイティブな状態で可溶化できる条件を見出し、そこからRNAプロセシング活性を保持した転写複合体を濃縮させることができました。さらに、現在の主流技術である高速シークエンサーで転写複合体中のRNAをゲノムワイドに解析し、Pol II複合体に含まれる新生RNAを一塩基解像度で検出することに成功しました。この手法をmammalian native elongating transcript sequencing (mNET-seq) と名付けました。幸運なことに、この論文はCell誌の表紙を飾ることなり、萩原先生に頂いたノルマを達成することができました。これで思う存分堂々と、日本の土を踏みしめることができそうです。このmNET-seq法を使って、新たなPol II 一時停止制御や今まで検出が不可能であったスプライシング中間体、マイクロプセッサー切断産物などの転写と共役したRNAプロセシングのキネティクスなど、以前から明らかにしたかった現象の一部を見ることができました。今まで研究の世界を何層もある壁の外から眺めていたような感覚がありました。mNET-seq論文以降、世界中の多くの研究室からコメントや問い合わせがあり、やっと一つの壁の内側に一歩踏み入れることができたと思います。

おわりに

mNET-seq法の発表以降、やっと研究者としてスタートラインに立つことができました。現在複数のグループと共同研究をし、興味深い結果が続々と出始めています。今まで誰も検出できずにいたRNAやその転写制御が見えてくるというのは、非常に興奮します。今後、mNET-seq法を多くの人に使っていただき、転写・RNA研究方法のゴールデンスタンダードの一つとなることを望んでいます。この寄稿を執筆中に、mNET-seq法に関する詳細なプロトコールがNature Protocols誌にin press になりました。是非、ご覧下さい。

私の留学はまだ続きますので、留学を経験して良かったかどうかはまだわかりません。しかしはっきり言えることは、留学は私の研究者人生にとって大きな転機になりました。未だに未熟者ですので、打ち破らなければならない壁は沢山あります。次の目標は、自分のグループを率いて、新しい転写・RNA制御メカニズムを見つけることです。RNA研究世界の中心部に近づき、多くのRNA研究者に影響を及ぼす研究者になりたいものです。

最後になりましたが、日本でお世話になった先生方、特に水本清久先生、萩原正敏先生、木村宏先生、ボスであるNick、この寄稿を書く機会を与えてくださった北畠真先生(京大)に、この場を借りまして感謝いたします。


写真1. Sir William Dunn School

筆者が在籍しているSir William Dunn School of Pathology の正面玄関