研究者にとってこの世でまだ誰も知らないことを自分の手で誰よりも早く知ることができるというのは、醍醐味以外のなにものでもない。例えば、暗室。僅かな赤い灯の中、一人いそいそとフィルムを現像する。多くの場合そこにあるのは小さな感動だが、時として「Oh, my god」とつい叫びたくなるような、この上なく面白い結果に出くわす瞬間がやってくる。この出会いは相当良いもので、一種のドラッグではないが、正直これを欲して研究するみたいなところもある。

が、私はこの十年ほど実験をしていない。研究室のどこに何があるかわからないし(家事を一切しないお父さんが、我が家で砂糖や泡立器のありかを知らないようなものである)、いちいち聞くのは面倒だし、しかも年と共に視力も落ち、動作にもキレがなく落ち込むばかりで、いつしか実験台に別れを告げた。そうなると、自分自身が「何かを発見する」という機会はない。これは結構、淋しいものである。そうなるとどうしても研究室のメンバーの結果が待ち遠しい。誰かが、「こんな面白い結果がでました!」と喜びをシェアしてくれるのを、首を長くして待つ。待つのに飽きるとこちらから声をかけてみたりもするが、仲々グッドタイミングをはかるのは難しい。

研究者の醍醐味には、海外出張も含まれる。実は、そういう現在もJALの機内だ。ヘルシンキの空港を離陸し15分程たったところである。空港で思わずしてムーミン(MUUMIとつづられていた)に出会ったこともあり、その辺りにムーミン谷がないものかと、半ば真剣に地上をスキャンしたりする。乗り継ぎだけだが、フィンランドはこれが初めてであり、飛行機の窓からの風景くらいは楽しもう、と珍しくしばらく窓に釘付になる。平らな広野に森や田園が続き、緑のグラデーションの絨毯を敷きつめたようで、とても美しい。今、あの絨毯の上を歩けたらどんなに心地よいだろうか、と想像したりする。いつか旅行で来るなら白夜の真夏もいいかな、凍える真冬もよさそう、とつらつら考えたりもしている。

今回の出張先はベルリンで開催されたFEBS Congress 2015であった。Non-coding RNAに関するセッションによんでいただいた。ChairはTom Tuschl、会場にはNikolaus RajawskyやJoerg Vogelといった面々がいる。疾患関連のセッションのchairおよび発表者として参加していたUPENN時代の恩師Gideon Dreyfussも来てくれた。今年5月のマジソンでのRNA Society年会ではすれ違いで出会えなかったため、数年ぶりの再会だ。壇上で発表の準備をしていたら、そこまで来てくれた。“I am looking forward to your talk”といってそっと腕をタップしてくれる。発表中に目があえば、良い調子だね、とばかりにnodしつつ微笑んでくれる。発表後には真っ先にマイクを手にとり“nice talk”と讃えつつ、私が発表し忘れた部分に関連する質問をし、補ってくれる。この年になっても温かく見守り、単純に褒めてくれる人がいるというのは有難いことである。また頑張ろうかな、と、自ずと気分も前向きになる。

セッション後にはカプチーノと美味しいケーキと共に、久しぶりの会話を楽しんだ。研究に限らず、家族の近況、UPENNで時間を共にしたラボメンバー、そして昔話、と話題が尽きることはない。今回は、彼が幼年時代を過ごしたイスラエルも話題となった。今年5月、塩見春彦と共にイスラエルを訪問する機会を得た。線虫でサイレンシングの研究をしているOded Rechaviが招待してくれたのである。アメリカでポスドクトレーニングを終え、Tel Aviv大学に自分のラボをもったところである。まだ若く、でも自信に満ちていて聡明、優しく気がつき、身のこなしも軽やかで明るい。単純に、こういう人と一緒に仕事ができたら楽しいだろうな、と思う。彼の学生さん二人にも出会う機会があった。二人とも女性でbioinformaticianを目指す。美しく、落ち着いていてmatureな印象を受ける。イスラエルでは女性も3年間ミリタリーサービスがあるとのこと。それを終えると1年程度、海外で自由気ままな生活をし、その後大学に入学する。つまり、日本の同じ学年の学生と比べると、年は数年上ということになる。が、受ける印象の違いは、簡単に年の差だけでは説明できそうにもない。ミリタリーサービスといっても、匍匐前進や射撃の仕方を学ぶのではない(らしい)。成績が良いとエリートとなるべく教育が施されるとのこと。Bioinformaticsもそのひとつだ。少しとのことであるが、お給料ももらえるので貯蓄ができ、それを「海外旅行」にあてる(らしい)。出会った女子学生のひとりはボーイフレンドと一緒に日本国内を旅して回ったとのこと。日本語がとても流暢だった。あらためて、人の、あるいは国の豊かさとは何なのだろう、と考えさせられた。Odedのはからいで、素晴らしいことにエルサレムと死海に行く機会をもった。旧市街地をめぐり、嘆きの壁も訪れた。シオンの丘では中学生くらいの子供達の一行に出会った。一見単なる遠足のようにもみえるが、Odedによると、アメリカなど海外に暮らすイスラエル人の子供達に祖国を直に知ってもらうことを目的とした事業の一環らしい。資金は国がもつ。すばらしいとしか言いようがない。

FEBS Congress2015ではRNA関連のセッションはいくつかあったが、私が聞いた発表はHITS-CLIPのオンパレードであった。Tuschl、Rajawsky、Joerg、Hentze、Gideon、と聞けば納得していただけるであろう。皆、せっせと細胞あるいは組織にUVをあて、目的のRNPを単離し、RNAの塩基配列を読んでは計算機でディープに解析する。HITS-CLIP はGideonとのお茶会にも登場した。GideonはHarvard在学中、アジ化塩基がUVによって共存するタンパク質にクロスリンクされることを実験的に見出し、さらにはアジ化修飾がなくとも条件がそろえばRNA-タンパク質のクロスリンクは可能であることに気がついた。そして、これをうまく応用すれば細胞内の特定のRNPを効率良く抽出することができると思い立ったのである。CLIPのプロトタイプといったところか。Gideonは実際、この実験をノースウエスタン大学で行っている。初めて自分のラボをもって初めて行った実験がこれであったとのこと(しかし、ちょうどその頃、この研究内容でNIHのグラントを申請したが、辛辣なコメントがかえってきたのだ、と教えてくれた)。大量のヒト培養細胞(確か10 cmディッシュ100枚といっていた)をUV照射し、クロスリンクしたhnRNP複合体をoligo(dT)カラムで単離精製、マウスを免疫して20ほどあるhnRNPタンパク質それぞれに対するモノクローナル抗体を作成した話は有名である。そして、それら抗体を用いてcDNA libraryから各hnRNPタンパク質のcDNAの単離をし、hnRNPの研究を発展させた。抗体を駆使したcDNA libraryのスクリーニングをはじめた頃、GideonはHoward Hughesのprinciple investigatorとしてUPENNに異動している。1990年のことである。同年、塩見と私は渡米しDreyfuss Labのメンバーとなった。ラボはGideonをいれて10名という大きさだった。

Gideon曰く、UVクロスリンクはそれぞれのタンパク質(あるいはRNA)での条件設定がとても重要で、慎重に行う必要があるとのことである。私はこの実験を行ったことがないが、Gideonがいっていることは正しいであろうと直感的に推察する。いばることは、ない。いってしまえば、もともと実験とはそういうものだ。肝心の「本実験」をする前の準備実験、これは実験材料の準備と実験条件の設定に相当するが、これは時間、工夫、知識、センス、そして根気を要するものである。が、なぜ今、Gideonがそのようなことをこの場におよんで言いだすのか? それには理由がある。あまりにもそのあたりのことが“きちんと行われていない”と憂えているからである。いいかえれば“杜撰”。ここでは敢えて具体例をしめさないが、最適な実験条件の選択と設定、をおろそかにしないこと。これがきちんとしていないと、その後の解析がいくらすばらしくても、発見のインパクトが一見高そうでも、意味はない、ということである。これが、今更ながら彼が私に熱く語ったポイントのひとつであった。

言わずもがな、である。が、high-throughput、CLIP、bioinformaticsといった真しやかなキーワードが並ぶと、それだけでいかにも最先端の研究をしているという錯覚におちいり、UVクロスリンクの条件なんて多くの人が真剣にケアしない。適当な論文の適当なメソッドを鵜呑みにして、それが自分の実験に最適かどうかを考えることもなく、ただただ実行し、結果を得て議論する。これは非常に危険である。より正確な理解を導くために本当に重要なこととは、気を使うべき点とは何なのか? 今回の、恩師との久しぶりの会話は、私達はコンスタントにこの基本中の基本にかえる必要があることに気がつかせてくれる良いレッスンとなった。

ついでといってはなんだが、普段から思っていることを最後にもう一つ加えてみたい。実験材料の準備と実験条件の設定はとても大事。時間もいる。が、これに莫大な時間と費用を費やし、研究をしている気分にひたってしまっている場合も見受けられる。これはあくまで準備であり、本実験とは等価ではないことを悟ることも大事である。

朝9時に成田に降り立ち、メールをチェックする。ラボの誰かから、「こんな結果がでました!」というのを淡く期待したが、まあ、そんなにタイミングよくいかないのは世の常である。これからラボにいって、久しぶりに誰かをつかまえて「Something new?」ときいてみようか、な。