齋藤都暁
情報・システム研究機構国立遺伝学研究所遺伝メカニズム研究系無脊椎動物遺伝研究室教授
総合研究大学院大学先端学術院遺伝学コース教授(併任)

tRNA研究に出会うまで

前回紹介したように、リソースプロジェクトをきっかけとして様々な共同研究を推進する一方、新規リソースを作って収集するという作業を継続していた。この過程で偶然RNA修飾酵素Mettl1のノックアウトハエを作る機会があり、雄性不稔の表現型となることを見出した。発見当時(2020年)は、動物におけるMettl1の機能解析論文は少なく、RNA修飾酵素のノックアウトが特異的な組織に表現型を認めるケースも当時は少なかったことから、きちんと解析すれば良い論文になると直感した。

ちょうどその頃、研究室には博士後期過程の大学院生も入ってきてくれたこともあり、課題として最適と感じた(遺伝研は大学院生の教育機関としての役割も持つがその紹介は別の機会にしたい)。また、過去にMettl1の分裂酵母や出芽酵母オルソログについての論文が多くあったが、愛媛大学の堀先生のグループがきれいな生化学実験を実施、報告しており、これを参考にしたことで生化学の部分で迷走することなくハエの解析に集中できた。当時、コロナ禍が始まったことで、リソース事業の方も換気や作業者間距離の確保など、様々な運営上の課題対応を余儀なくされた。その一方で、海外出張もできず、ラボでじっくり実験することが可能な時期だったことは不幸中の幸いであり、海外研究者の動向があまり耳に届かなくなったことから落ち着いてぶれずに実験できたように感じる。2021年頃から、急に哺乳類培養細胞におけるMETTL1関連論文が連続して出てきた時は、いつハエの論文が出てきてもおかしくない状況であり正直焦ったが、なんとか先んじてMettl1によるtRNAのm7G修飾が雄の稔性に必須である、というストーリーを完結できたのは幸運というしかない(https://www.nature.com/articles/s41467-024-52389-0)。私たちの論文の約1ヶ月前には、ハエやマウスのMETTL1の機能消失が老化につながるという論文(https://www.nature.com/articles/s41467-024-49796-8)も発表され、やはり似たようなことを同時期にたくさんの人が解析しているのだと実感した。

 

今後について

今回、ハエMettl1の研究が一つの形にはなったものの、これに関連して新たに解決すべき課題がいくつも浮かんできた。最近、タンパク質レベルの恒常性やその機構を指し示すプロテオスタシス(Proteostasis)という言葉を良く見聞きする。私の研究はRNA修飾によるtRNAの恒常性、すなわちtRNAリボスタシス(tRNA Ribostasis)を捉えたものと考えられる。ショウジョウバエを対象として研究を行ったことで、tRNAリボスタシスに重要な修飾構造やtRNA種、安定化や分解機構、頑強さ、破綻が及ぼす組織ごとの影響など多細胞生物ならではの課題が多く存在することが分かってきた。tRNAリボスタシス研究は塩基修飾の多様性や解析技術の不足(レポーター系やNGS解析など)により、mRNAなどの他のRNA種のリボスタシス研究に比べて遅れている印象がある。この状況は、私がポスドクとして徳島大学ゲノム機能研究センターの塩見研究室においてPiwiに結合するpiRNAを最初に見たときの感覚に似ており、あの当時もpiRNAはどう作られるか、どうやって何を制御するか、Piwi以外のPIWIファミリーとの違いは?など、いろんなことを妄想していたように思う。今後は縁あってtRNA研究やエピトランスクリプトーム研究に踏み入れるが、遺伝研の環境を活かした研究を発展させたいし、それが強みと感じる。また着任後から数ヶ月後に生化学に秀でた三好啓太さんを助教として迎えることができ、自身の研究を強力に進められる状況にある。リソース運営の大変さはあるが、5年1期を無事終えて、一通りのことをこなしたので今では負担に感じることは極めて少ない。このように、リソース運営は慣れてしまえばあとはメリットしかないので、10年、15年、20年、という長期で携わるには非常に良い仕事と確信している。人脈も広がり、強力なツールを活用できる。したがって、モデル動物によって規模や運営上の違いはあるものの、職探しをする上でリソース事業が付帯されていたとしても尻込みする必要はないと感じる。ただ短期的には慣れるまで大変なので、独立後とにかく自分の実験にだけ集中したいという場合は合わない可能性もある。

 最後にタイトル回収しなければならない。なぜ、tRNA研究に「還る」なのかというと、2015年および2017年の寄稿文において若干ふれているが、実は大学の学部時代に1年だけtRNA研究をしていたことに由来する(https://www.rnaj.org/en/?view=article&id=305:awards-1-1&catid=68https://www.rnaj.org/en/?view=article&layout=blog&id=616:saito2&catid=97:vol-36、(写真4))。当時の指導教官だった、故・長谷川典巳先生の縁で、1998年にわざわざ山形に三浦謹一郎先生がいらっしゃった(写真5)。今となっては当時どのような話をされていたかは恥ずかしながら覚えていないが、Cap関連のお話をされたのではないかと推察している。まさか三浦先生が活躍された遺伝研でラボを持ち、さらにRNA修飾の研究で論文を出せたのは予想外の喜びであるが、もしかしたら何か見えない力で引き寄せられたのかもしれない。今後も出会った方々に恥ずかしくない研究を続けていけたらと思う。

写真4:tRNAの分子模型完成記念写真
学部当時(1998年-1999年)の、ラボ所属の最初の仕事が分子模型の組み立てだった。今ではコンピューター上できれいに見てとれるが、当時はこれです。
写真5:三浦先生との集合写真
前列中央が三浦先生、その左に長谷川先生、筆者は後列左から3番目。

(注)本来であれば、ここで感謝しご紹介すべき恩師、学生、同僚、共同研究者がたくさんいますが、誌面の都合上で全てを記載できなかったことをお詫び申しあげます。