大阪大学大学院生命機能研究科・廣瀬 哲郎

前回は、オリジナルな研究を生み出すための風土について書きました。日本人が自然を眺めた際に見えているものは、欧米の人たちとは少し違うかもしれない、その独特の感性をRNA研究に活かせないだろうか、と常々思っています。こういうオリジナルな研究がまだ萌芽的なステージにあるとき、それを目ざとく見定めてエンカレッジする周囲の風潮も非常に重要だと思います。欧米先導型のわかりやすい強烈な潮流にさらされつつも、それとは一味違う異端要素を育てていくことは簡単ではありません。そのためには、その自身の価値観への信念と誇りを伴った高潔な判断力が求められます。一方で、こうした価値観への過剰な誇り高さは、場合によっては滑稽な俗説を生み出してしまうこともあるようです。今回は、そのことを考えさせられた私のお気に入りのエピソードを2つ紹介します。

北海道の積丹半島先端の神威岬では、積丹ブルーと呼ばれる深く澄んだ海と奇岩が織りなす素晴らしい風景が見られます。かつて女人禁制だったという岬の突端には、古めかしい記念碑が立っています。その記念碑に書いてある内容を読んで、私は思わず目を疑いました。「源義経はここから中国大陸に向けて旅立っていったのです。」

これは、義経北行伝説といわれるもので、源義経は平泉で死なず、落ち延びて北に向かい北海道に渡り、その後、中国大陸に渡ってジンギスカンになった(!)という驚くべき説です。道南地方には義経伝説が多く残っており、神威岬はその代表例でしょう。そもそも、この女人禁制というのも、義経と恋に落ちたアイヌの娘の呪いが関係しているとか。こうした伝説の多くは誇張や創作に満ちていますが、話としては非常に魅力的です。ちなみにその北行には、かの弁慶も同行していたそうで、隣町の寿都町には、弁慶岬という別の岬があり、勇壮な弁慶の石像まで立っています。さすがにこれは盛りすぎではないかと感じますが、こうした話がもたらす歴史ロマンには心惹かれるものがあります。奈良にも、これと似たエピソードがあります。古都奈良の仏閣は、京都とは一味違う古代の悠久を感じさせるものですが、その中でも私が最も気に入っているのが唐招提寺です。大阪に移ってから、コロナ禍の合間を縫って再訪しましたが、その端正な佇まいは変わらず印象的でした。中でも注目すべきは、金堂の8本の太い柱です。この柱はエンタシスと呼ばれ、円柱の中央部が膨んだ特徴的な形状をしています。この形状については、唐招提寺が建立された奈良時代に、古代ヨーロッパからシルクロードに通じて、その終点の日本まで伝わったという説があります。つまり、唐招提寺のエンタシスは、ギリシャのパルテノン神殿の荘厳な柱と同じ由来を持つことになり、壮大な歴史ロマンを感じます。しかし、この話は現在では学術的に認められていない俗説にとどまっています。なぜなら、シルクロード経由地にはこうしたエンタシスの伝搬が見あたらないからです。

これら二つの俗説は、いずれも魅力的な物語として人々を惹きつけます。判官びいきの日本人にとって、義経が世界的な英雄に転生したという話や、古代日本が早くから西洋文化と繋がりを持っていたという説は、内向きな視点を都合よく満たすとともに、近代以降の日本でよく見られる「海外の権威を拝借する」行為の一例といえるでしょう。たとえば、日本固有の山岳景勝地を日本アルプスと呼んだり、日本映画の賞を日本アカデミー賞と名付けたりすることに通じるものがあります。
日本の科学研究は、欧米の先端研究を追いかけることから始まりました。私の学生時代にはその意識が色濃く残っており、「一流ジャーナルに掲載された論文に目を奪われているようでは遅すぎる。欧米のラボはすでに2年先を行っている。そのためには海外の学会に参加し、口コミ情報を得ることが重要だ。さもなくば日本のサイエンスはどんどん取り残されてしまう」とよく言われたものです。しかし、現在の若い研究者にはそうした危機感が薄いように感じます。情報は今やリアルタイムで世界中どこででも得られ、学会情報もSNSを通じて流れ、bioRxivには最新の論文が次々と投稿されます。情報の流れは確かに大きく変貌し、情報を集めるだけなら海外に行く必要はないのかもしれません。

ただし注意すべきは、いくら情報が手に入っても、それを用いたサイエンスの思考は日本人自身によって行われているという点です。この点は以前とあまり変わっていないように思います。独りよがりな内向きの価値観で研究を進めたとしても、それを指摘してくれる人は国内では得難いものです。その結果、日本人にしか響かないような俗説めいた価値を生み出す危険性があります。欧米研究者が打ち出した魅力的な発見を、自らの研究と安易に結びつけ、あたかもその最先端にいるかのような錯覚に陥るのは非常に危険です。このような独りよがりの錯覚を避けるには、やはり海外の学会に参加し、現地に身を置き、海外の研究者と直接対話することが不可欠だといえます。

日本のRNA研究は、もはや単なる追随者ではなく、独創的な研究によって欧米を牽引することが求められています。エンタシスの話に戻りますが、そもそもこの形状は古代ギリシャ人が下から見上げた際に真っ直ぐな柱よりも安定して見える錯覚を生むことを発見し巨大建築に取り入れました。同じ形状が古代日本の寺院にも用いられたのは、古代日本人がこの形状に独自に行き着いたといえます。古代ギリシャ人と同じ発想に偶然たどり着いた可能性もありますし、日本独自の理由に基づいた創造である可能性もあります。日本のRNA研究者にとって重要なのは、このような日本独自の発想や成果に価値を見出し、それを見逃さずに育てる視点を持つことです。そのためには、古代ギリシャでエンタシスの発想がどのように生まれたのかを理解することが、日本固有のエンタシス形状の価値を知る手がかりとなるように、欧米の先端研究とそこに至る発想を深く理解することが不可欠です。RNA研究者が日本固有の価値ある研究を育てるためには、欧米の研究を十分に理解し、それを消化したうえで、自身のオリジナリティを正しく評価する視点を養う努力が求められます。このような観点から、かつては情報収集が主目的であった海外での研究交流の重要性は、異なる意味で、今日さらに増しているといえるでしょう。

日本RNA学会では、特に若い研究者の海外学会参加を奨励しています。今年は6月にRNA Society Meetingが米国サンディエゴで開催され、さらに11月には初の対面開催となるAsia RNA Network Meetingがソウルで開かれます。これらの機会を活用し、多くの若手研究者が世界の研究者との交流を通じて新たな視点を得ることを願っています。そして将来、日本でもこうした国際ミーティングを開催し、独自性を持った日本のRNA研究を世界に誇示するのを目指したいものです。

最後になりますが、歴史の俗説には「こうだったらいいのに」という願望が反映されています。RNA研究にも、同様に魅力的だけれども真実ではないエピソードがいくつか存在します。機会があれば、そうしたRNA俗説についてもご紹介したいと思います。