齋藤都暁
情報・システム研究機構国立遺伝学研究所遺伝メカニズム研究系無脊椎動物遺伝研究室教授
総合研究大学院大学先端学術院遺伝学コース教授(併任)
「tRNA屋さんになったの?」と声をかけられることが多くなった。最近出した論文のおかげか私のイメージを少し変えることになったようで嬉しく感じた。2017年4月に遺伝研でラボを立ち上げて7年も経過しており、新しい環境に適応しつつ自分探し(研究探し)を続けた数年だったように思う。この夏に、編集幹事の岩川さんと東京での日本RNA学会年会の際に立ち話していたところ、ラボの立ち上げ報告は結構あるけど、その後どうなったか?というような話はあまり聞かないから一筆どうですか?という話になり、ちょうど良い時期と思ったので、これまでの経過を書いてみたい。
リソースプロジェクトってなんだ?
日本RNA学会員の多くは分子レベルの問題に取り組んでいることと思う。私もその1人で、生き物を使うにしてもショウジョウバエはすぐ潰していたし、研究を手軽に進められる培養細胞OSC(Ovarian somatic cell)の確立もあって、生き物そのものを活用していたかというとそうではなかった。そのため2017年に遺伝研に着任しショウジョウバエリソースを引き継ぐとなった際、一体どんな仕事なのか想像もつかなかったし、そこを良く理解した上でアプライしたわけではなかった。新しい道を自分でゼロから開拓するというより、上から降って与えられた環境によって否応がなく適応するしかなかった。このようにして新しい方向に向かわざるを得ないことになったわけだが、数年経過した今になって考えると、この転機は人脈の飛躍的拡大、新しい実験系の獲得という点で非常にポジティブに働いたように思う。バイオリソースを集約的に管理することは日本全体の研究費支出の効率化にも繋がるので、今後も事業継承、つまり後任人事が実施されると予想される。日本RNA学会会員の中には、リソース事業とは縁遠いからとアプライを躊躇する方も多いと思うが、1リソース事業者の経験が参考になればと思い、仕事内容を紹介することから始めたい。
「大学共同利用機関法人」としての遺伝研
遺伝研は戦後間もない1949年に設立されたが、当時からの年報が公開されており(https://www.nig.ac.jp/nig/ja/about-nig/yoran、写真1)、当時の経済状況、地政学、G.H.Qとの交渉など、現代では考えられないほど困難な状況下で研究所を作ったことが分かり、頭が下がる。学会員の多くがご存知とは思うが、日本のRNA研究に多大な貢献をいただいた三浦謹一郎博士の記載は1969年の第20号年報から拝見できる。1971年、文部省は全国の大学の研究推進をミッションとする大学共同利用機関を設定していたが、1984年の改組によって、遺伝研は大学共同利用機関に組み入れられた。遺伝研は設立当初から遺伝資源や遺伝情報整備、最先端の研究を推進することによって国内研究の発展を下支えしてきた。さらに、毎年10から20の研究テーマについて多数の研究者を遺伝研に招聘した研究会を実施し、共同研究の推進をしている。私は、こういった遺伝研の活動は着任まで特に意識しておらず、第一線の研究を行なっている研究所、としてのイメージしか見ていなかった。しかし実際に仕事を始めてみると、自分の研究以外の活動割合がどのぐらいになるのか分かってくる。私が主に参画するリソース事業(以下、ナショナルバイオリソースプロジェクト(NBRP))は、動物・植物・微生物・ウィルスなど多様な系統と遺伝子材料を保存し、提供するとともに、ゲノム情報等の整備を通じて付加価値向上も担う文部科学省のプロジェクトである(一時期AMEDの管轄下にもあった)。NBRPは2002年から5年を1タームとして更新、継続され、現在第5期となっている。NBRPは収集・保存・品質管理・提供を行うが、新しい系統の開発は対象外である。海外のストックセンターでは、全経費の一定の割合を自身の研究、開発に使用しても良いとなっているケースを聞いたこともあるが、NBRPでは明確に線引きをしている。従って、NBRPは科研費などの一般的な研究費とは位置付けが異なり、自分の研究をするには科研費などの研究費を別に獲得する必要がある。リソースの提供に際して研究者には料金が請求されるが、それは提供によって失われた系統の復元のための費用だけ請求される。海外のストックセンターでは維持費用も料金として上乗せされることから、一般的に海外に比べてNBRPから購入した方が安く系統を手に入れられる。
ではここで実際の仕事内容に触れたいと思う。私自身はNBRPで保存している系統を直接お世話することは普段なく、事務仕事を主とする。春には費用計画、収集、保存、品質管理、提供の目標を数値化文章化し、実施計画書に記載する。細かい人件費計算などは秘書さんにやってもらえる。提出後はPDやPOからの意見や質問に対応し、最終版を提出する。年間を通じて、ショウジョウバエの場合は2,3日に1度は注文が入る。ユーザーから質問やクレームが来る場合もあるので、それに対応、改善していく。クレームのほとんどはパターン化しているので私以外で対応してもらえているが、新しいケースについては適宜判断を下す必要がある。国の制度が変わる場合(最近ではインボイス制度)など、対応に時間や費用を要する場合もある。研究者からの専門的な質問もある一方、学生がハエの使い方が良くわからないから教えてくれと言ったざっくりとした質問や、小学生からショウジョウバエの飼い方について質問を受けることもある。ストックセンターはあまり国内にないので、外部から研修や視察の一環として来訪する場合もあり、その対応も行う。さらに学会でのリソース紹介など広報活動を行う。年度末には実施報告書を記載するが、収集、保存、提供、提供した系統を用いた論文のリストアップと数の集計、その中から数報について成果をわかりやすい形でスライド化(ポンチ絵)にする、などの作業がある。もちろん数値は重要な指標であり、これに大きな変化があった場合は研究動向などの変化を自分なりに分析し、対応を提案する。年に1度以上、ショウジョウバエ研究者10名程度を主体とするNBRP運営委員会で活動概要を説明、今後について議論し、実施計画書に反映させ、ユーザーとの連携を図る。もちろん雇用している方々の労務管理、系統の消失リスクに対する対応、老朽化機器についての対応、長期的なビジョンをどうするか、海外リソースセンターやデータベースへの対応、など多方面に気を配る必要がある。さらに、5年タームの間に、中間審査、事後評価があるので、中間審査報告書、事後評価報告書を作成、ヒアリングなどを受ける。さらに次の期が始まる際は公募となるので、5年間の計画立案、数値目標等の設定を行い、審査を受けることとなる。もし不採択となれば、ハエコミュニティ全体に多大な迷惑がかかるので気が抜けない。
さて、ここまで読んでみなさんどうお感じなったでしょうか?大変そうだと思った方も多いのではないでしょうか。実際、5年間のタームが一巡するまでは本当に大変だった。私が着任した当時ショウジョウバエ業界の方から激励を受け、やはりストックセンターは大切だと感じると同時に、疎かにしたら相当迷惑をかけるだろうというプレッシャーは感じた。ハエは凍結保存ではなくほぼ全ての系統を生体として維持する必要がある。梅雨時は湿気でハエが餌に埋もれ、冬は餌が乾燥し幼虫が上手く餌を食べ進められずそのまま死ぬケースがある。夏は輸送時にヒートショックで死ぬことが多く、再送となるケースが後を絶たない。もちろん研究は年中休みなく進める必要があるので、夏場は無事にハエが届かないという国外からの苦情も理解できるが何度送っても途中で死滅するケースがあり申し訳なく思う。コロナ禍では、日本の物流は機能したが海外の物流が途絶える、もしくは長時間化したためハエが届かない、死滅した、というケースが頻発した。センターでの維持においても、餌に使う乾燥酵母の製造国がやむなく変更となり、品質が若干変わったのか良く分からない理由で大量のストックが死滅したことがあった。その際は本当に半年ぐらいセンターが危ないと感じながら過ごし、対応に追われたことがある。夏に見かける鬱陶しいコバエに比べて研究用のショウジョウバエはなんと脆いものかと感じる。さて、以上を読み進めると誰もリソース事業をやりたがらなくなってしまいそうなので、ここからはメリットについて紹介する。
リソースセンター運営のメリット
リソース管理者のメリットは様々あるが、着任から時系列で紹介する。第一のメリットとして、着任後20名ほどの技術補佐員と助教など全スタッフを引き継いだことが挙げられる(写真2)。ショウジョウバエは比較的大きなリソース事業であるので関与するスタッフの数も多い。私の着任は、小規模会社の社長だけが替わるようなものである。すでに会社内メンバーの連携は完璧で事業を滞りなく進行しており、どう運営されているか教えてもらうことができた。従って、着任初期は運営の苦労はなく、自分の研究について考える余裕もあった。勿論、計画書や報告書などの仕事も入るが、前任の上田龍先生がとても親切で、たくさんのことを教えてもらえたので特に困ることはなかった。つまり、ヒト、モノ、ハエが揃った状態であり、生化学の部分を充実化するだけで自分の研究を開始することが可能だった点がメリットとして大きいと感じた。第二のメリットとしては新しい人脈形成である。これまでショウジョウバエ個体を扱った経験がなかったことから、ハエ業界の知り合いといえば、日本RNA学会に所属している研究者のみであったが、様々なショウジョウバエ関連会議に参加することで一気に交流の範囲が広がった。実際、共同研究に発展したケースもあり、ほぼ1年に1報は共同研究論文を発表できたことは大きい。このような共同研究の推進は大学共同利用機関法人の責務とはいえ、もし自分の力で一から構築しようとしてもこうはならなかったに違いない。日本RNA学会同様、日本ショウジョウバエ研究会(J-fly)も研究者間の繋がりも深く、ざっくばらんな議論が展開され、とても面白い。就任後しばらくしてあったショウジョウバエ関連学会の懇親会で、リソース管理を始めたということで挨拶させていただいたが、少し緊張していたかもしれない。でもその後とある重鎮の方に、「堂々としてればいいんですよ。逆らったらリソースあげないよ、ぐらいの勢いで」。と言っていただいたのを今でも覚えている。もちろんそんな横柄な態度を取るつもりはないが、だいぶ緊張がほぐれてリソースも研究も楽しめそうだと感じたことを今でも覚えている。やはりユーザーの方に感謝してもらえる、というのは意欲に直結する。また、多様なハエリソースを扱っているということもあって、ヒト希少・未診断疾患研究(IRUD)に参画する機会を得た。日本には4万人を越える希少未診断疾患患者が存在し、診断確定や治療法の開発が待たれている。希少ゆえに確定診断できず(つまり病名がつかない)、原因もわからないまま、病院を転々とするケースもある。もちろん診断がつかないため患者本人は苦しんでいても、なぜ苦しむことになっているのか分からず苦悩する。もちろん難病指定にもならないので、手厚いサポートもない。近年、NGS技術の進展を背景として、希少未診断疾患の原因遺伝子変異候補(VUS: a Variant of Uncertain Significance)が比較的安価に見出すことが可能となってきた。ただ、それが病原性変異であるかどうかは患者が希少なため、証明できない。そこでAMEDでは、より安価かつ遺伝学的エビデンスを増やせるモデル動物でVUSの検証をし、診断や治療法開発の一助にしようという取り組みがなされ、現在も続いている。この過程でいくつかのVUSの評価を医学系研究者と連携しながらハエ遺伝学でサポートできた。このように医学系研究者なども含め新たな人脈形成に繋がったこともリソース事業運営のメリットの一つに感じる。最後に第三にして最大のメリットは自分の研究にリソース自体を活かせることにある。これはもちろんNBRP事業経費を自身の研究に流用するということではなく、ハエがたくさん手元にあるという状態自体が研究に役に立つというものである。同じくリソース管理をしていた別の先生とお話した際、「リソース事業ばかりをやっていたら段々とモチベーションが低下してくるので、自分の研究にリソースを活かすことを考えると、事業にも身が入るし、研究も進むよ。」と心構えを教示いただいた。確かにそうだと感じて自分のRNA研究にどう活かそうかと考えてきた。遺伝研のハエリソースはRNAi系統やノックアウト系統などのLoss of Functionの系統を収集している。国内外の研究者からの寄託を受け、リソースのラインナップに加えることもある一方、自身で作ったハエを収集する場合もある。遺伝研は研究コミュニティーに資する遺伝資源の開発もミッションの一つであり、運営費交付金を原資として新しいリソースを作る遺伝資源事業を推進している。私のラボではこれを原資にLoss of Functionの系統を作成しており、日本でも屈指のトランスジェニックハエの作成能を持つ人員によって行われている(この人員も引き継いだ)。このリソース開発は高い公共性がなければならず、自分の研究、例えばRNAに関わる遺伝子群を中心にLoss of Function系統を揃える、といったことは許可されない。この運営費交付金によってサポートされる部分が適切に行われているかも毎年報告、審議を受ける必要がある。このような形で作った網羅的機能消失変異体ハエが遺伝研には整備されている。費用対効果を考えると重要な遺伝子から順に集めるという考えもあるが、先ほど述べたように運営費交付金でサポートされるリソース開発は高い公共性がなければならないことやランダムに作った系統の方が予想外の発見につながりやすい、といったこともあり、とにかく網羅する形で作って世の中に公開している。ハエ以外の動物種で何か重要な遺伝子について論文報告された際、偶然ラボにショウジョウバエオルソログのノックアウトハエが存在する場合がある。実際にそのハエを観察すると、ハエでも類似した表現型、例えば致死になりそうだといったことが予測できたり、逆のケースもある。もちろん私たちの作ったハエが2次的変異をもつ可能性もあるが、こういった情報にすぐアクセスできる環境にあるというのは恵まれていると言える。いつかこのLoss of Functionの系統群から何かレポーター遺伝子の発現を指標としたスクリーニングをしてみたいと常々考えている。これまで大規模なスクリーニングは頭に浮かんだとしても自分でやろうとは思わなかったが、現有するリソース(写真3)をみると以前は考えもしなかった野望(妄想)が芽生えてワクワクする。また、餌替えのたびに古親が捨てられていく様を見ると、自分が活用しないとハエにいつか祟られるのではないかとも感じる。
かなり長くなってしまったので、ここでいったん区切らせていただき、次回にtRNA研究に行き着いた経緯を紹介する。
(注)本来であれば、ここで感謝しご紹介すべき恩師、学生、同僚、共同研究者がたくさんいますが、誌面の都合上で全てを記載できなかったことをお詫び申しあげます。