東京大学大学院理学系研究科
教授 塩見 美喜子

帰宅途中、カバンを持つ手が小刻みに振動する。数分おきに数回繰り返された。ついに老化現象到来か、と思ったが、原因はiPhoneだった。履歴には見覚えのない11桁の数字。同じ人からの様である。半年前にも似たようなことがあり、そのときは登録済みの家族からで、雨にぬれた市ヶ谷の横断歩道で自転車ごと転倒し、救急車で運ばれたという知らせだった。そもそも、私のiPhoneには10件しか電話番号が登録されていない。そこから家族とラボの関連者を除くと残りは3件となる。世界中の誰か、マイナス10、が私にiPhoneで連絡をとろうとしても、相手が誰なのか特定できない。特定できないため、一層対応を躊躇う。連続して着信があったので流石に気にはなったが、救急車ver.2みたいなものだろう、家族ではないしな、と放置した。地下鉄の中でもあったし、降りたとしても歩きながらの電話は気が引ける。急用ならメールが入るよね、とも思う。メールアドレスを知らない人なら、また連絡があるまでおいて待つしかないな、とも思う。最寄りのSantokuによったところで、この一連の出来事はすっかり忘れた。

 その知らせはV. Ambros博士とG. Ruvkun博士がmiRNAの発見と研究でノーベル生理学・医学賞を受賞したというものだった。2006年にA. Fire博士とC. Mello博士がRNAiの発見で同賞を受賞してから、早くも18年が経つ。いつかはmiRNAも、と思っていたが、やっとこの日が来たことに喜びもひとしおである。あと30分ラボに長く残っていたらネットで直接この朗報を知れたかもしれないと少し後悔する。何はともあれ、A新聞記者さん、ご教示ありがとうございました。後にはなってしまいましたが、少しお話もできてよかったです。

 piRNAは存在すらしなかった徳島大学時代、現・慶応の塩見春彦や遺伝研の齋藤都暁さん、三好啓太さん、奈良先端の岡村勝友さんらと共に、ショウジョウバエのRNAiとmiRNAを研究していた。AGO2変異体はホームメイド、AGO1変異体は京都大学の上村匡教授より分与していただき、この二つの恒常的Argonauteの役割の違いを明らかにするとともに、RNAi機構におけるAGO2の分子機能を解明した。内因性siRNAの同定にも成功し、ヒトのAGO解析を進める中で、5’末端が1〜2塩基異なるアイソフォームは、異なる遺伝子を標的とする可能性を実験的に示した。当時の我々が目指すところは欧米の気鋭のRNAi/miRNA研究者と重なる部分が多く、我々のような世界の片隅の弱小ラボにとっては毎日が緊張の連続で、実験結果に一喜一憂し、とてもエキサイティングだった。PIWIの存在は把握していた。面白そう、でも生殖特異的な分子であることから手を出しにくいと足踏みしていた。しかし、塩見の“まずは抗体作りかな”というひと声でギアが切り替わりアクセルが踏みこまれた。

 現在の我々の研究はpiRNAが主流で、RNAiはもっぱら遺伝子抑制の手法として、miRNAはloading controlとして時折登場するくらいである。それでも有難いことに、今回のmiRNAのノーベル賞受賞に関する寄稿の依頼をいくつか拝受した。ここでは少し趣向を変えてみようかと思いたち、最近のmiRNAの総説を読んだりmiRBaseやMirGeneDBを訪れたりしてみた。これらデータベースは思ったより面白いので覗いてみることをお勧めする。
 Ambros博士とRuvkun博士が最初に発見したmiRNAはlin-4である。これは細胞系譜制御因子(heterochronic gene)の一つで、同じくheterochronic geneとして知られるlin-14の発現をmRNAレベルで抑制することにより、発生・分化の時間軸を制御する。この様な制御は例えばショウジョウバエやヒトでも必須であるが、これら生物はlin-4を持たない。機能性代替品があるのだろう。生物は結構気まぐれで、システムを自分の好きなようにアレンジする。一方、非常に興味深いことに、二つ目のmiRNAとして同定されたlet-7は線虫だけでなく、ショウジョウバエにもヒトにも存在する。線虫(Nematoda門)とヒト(Chordata門)は生物進化の観点からみると数億年以上離れているが、この途方もなく長い期間ずっとlet-7の配列は頑なに維持されてきたのである。その圧力は相当なものだといえるが、その実態は何なのだろう。let-7前駆体(pri-miRNAのうちstem-loopの周辺120塩基程度)の配列を見てみたが、案外保存性が低い。miRNA遺伝子は変異を「許容」していることが分かる。標的遺伝子(予測)に鍵があるのかもしれないと大まかに比較してみたが、ヒト、線虫、ショウジョウバエの標的はそれぞれ異なっているようだ。遺伝子機能の関連もなさそうである。もちろん、標的そのものが生物種間で保存されていないことには仕方がないが、その経緯、つまりlet-7は何億年にもわたって保存しつつも、生物毎に異なる遺伝子を標的として異なる結果をもたらすに至った経緯、も知りたいところではあるが、数億年に渡る進化の過程を振り返ることは(私には)不可能である。ちなみにMirGeneDBによるとショウジョウバエは99種のmiRNA familyを持ち、そのうちlet-7以外でヒトにも保存されているものは17種だった。この数字を妥当とするかしないかは個人の判断によるだろう。
 MirGeneDBによるとヒトは268種のmiRNA familyをもち、miRNA遺伝子数は567である。miRBaseによると、ヒトのmiRNA遺伝子数は2,000に近く、MirGeneDBの約3.5倍である。ショウジョウバエの場合、MirGeneDBによると99種のmiRNA familyをもちmiRNA遺伝子数は161、miRBaseでは250程度なので、約1.6倍である。miRBaseには偽miRNAも結構含まれており、MirGeneDBの方が現実をより正しく反映しているとの声もある。興味本位で、MirGeneDBのショウジョウバエmiR-2 familyに含まれる20種を調べてみたが、同じlocusから生成されるmiRNAアイソフォームが同じ遺伝子を標的とすることになっている。このアイソフォームは5’末端が2塩基ずれているためシード配列が明らかに異なる。この状態で同じ遺伝子を標的とすることが可能なのか、疑問に残る。miRBase IDがmiR994とされているものもmiR-2 familyのメンバーとなっている。が、そのシード配列は明らかに他のメンバーと異なる。この仕分けがどのようなルールで行われているのかは不明だが、MirGeneDBの方が現実をより正確に反映しているとはいえないようだというのが今のところの見解である。真のmiRNAとは何か、また真のmiRNA標的とは何か。それを正確に定義する方法は、まだ領域で確立されていないように思われる。レポーターアッセイの結果が、その定義を混乱させているという指摘もある。大量のmiRNAを細胞に導入し、蛍光レポーターの強度がどの程度低下するかを調べる簡便な実験系であるが、時としてあまりにも人工的で、結果の解釈を誤る可能性がある。

 以前、あるところから依頼されて、粗悪学術誌に掲載されているRNA関連の論文を調べたことがある。論文タイトルが、miRNA-xx functions as an oncomiR in xxx cancer by targeting xxxx geneといったものや、最近だと、lncRNA acts as an oncogene by targeting xxxx gene、piRNA-xxxx sensitizes xxx cancer to xxx (drug) by regulating xxx geneというものもあるようだ。図は大方、bar graph、box plots、colony formation assay、flow cytometry、cell growth assay、wound healing assay、western blottingの幾つかがセットになって登場するため、体裁が似通っている。Discussionは本来の議論の形式を成しておらず、単なる類似論文の羅列だったりする。Paper Mill。生命科学の分野ではPaper Millによる論文が特に目立つとされており、我々の身近な研究領域に重篤な悪影響を及ぼすことは間違いなく、早急な解決が求められる。出版倫理委員会(COPE)と国際STM出版社協会は、これを解決するため「United2Act」イニシアティブを先導している。しかし、Paper Millはれっきとした商売で、クライアントと業者が手を結べば成立する。いたちごっこにならないよう、我々も意識を鋭くしなくてはならない。
 ノーベル賞を受賞したmiRNAとRNAi。生殖維持に欠かせないpiRNAにもいつか受賞のチャンスが訪れるのかは知る由もないが、Paper Millで汚名を着せないで欲しいと強く願う。