シドニー空港に降り立ったのは朝の8時過ぎだったろうか。時差は2時間程なので苦痛はいつもより少な目だが、このままチェックインタイムまで待つのはつらいかも、とおもいつつタクシーでホテルに向かう。フロントでたずねると、ラッキーなことにすぐに部屋に入れるとのこと。しかし、鍵をあけると中からジーパンにTシャツ姿の女性が出てきた。どうみても泊まり客。フロントへと踵を返すとすでに連絡があった模様。
「I am sorry」といいつつ、コンピューターで何かを調べ、そしておもむろに手元にあった20枚ほどの封筒から一枚を手にとり中央をびりっとやぶった。団体様チェックインのために用意してあった鍵の様。「これは大丈夫!」とのこと。懐疑的だったが、部屋の中から少なくとも人は出てこなかった。
シドニーはゆったりとした感じの良い街である。海に近く、hillyだが大きな公園もあり散歩も楽しめる。澄んだ空気と晴天にめぐまれ、日曜日ということもあってオペラハウス界隈は初夏を楽しむ人々で賑わっていた。食べ物もワインも美味しい。付け加えるなら、値段もいい。純粋に観光で半日楽しんだ後、UTSでJohn Mattick博士によるプレナリーが始まった。煌煌と明るいままの部屋。マイクはONだが声はうまく拾われない。ポインターも使用しない。1時間余りが過ぎたが、時間を告げるベルはならない。時間超過のサインもなく、終わるべくして終わるところでレクチャーは終わった。
2日目は昨日とは異なる会場。が、部屋が煌煌と明るいのは同じ。経過時間は片手を挙げてあと5分だよ、と発表者に知らせる。そのルールには気がついてはいたが、自分の時は全く感知出来なかった。聴衆から苦笑が漏れ聞こえて初めて時間オーバーに気がついた。コンピューターの接続が悪くはじまりにとまどったから、まあトントンということで。
コーヒーブレークで、一緒に参加したラボのメンバーが「ポスターを貼る場所がない」といってきた。ポスター用のボードはバルコニーに出ていたが、枚数が足りないらしい。オーストラリア側のオーガナイザーにつげると、しばらくして場所を確保したから来いという。彼が指で示したのは建物の窓、しかもバルコニー側だった。テープで窓にはるという。まあ、それもいいかもね。が、しばらくして風でポスターは吹っ飛び行方不明になったとのこと。ポスター発表が始まる前の出来事だ。
それでもjajRNA2014は無事に終了した。皆、ハッピーそうで満足そうだったし、最終日のスペシャルディナーもとても和やかだった。オーバーオール、とても良いミーティングだったし、次は2年後かな?という話題もあった。
日本ではミーティングルームの光の加減に注意を払い、時間はベルでとことん知らせる。ポスターは風でとばないし、行方不明にならない。国民性の違い?文化の違い。教育の違い。いろいろ考えられるし、経緯に考えを巡らせるのも楽しい。結局、どちらがよいということはないし、どちらでなくてはならないということもない。でも、やっぱり違いは明確なのだよね、おもしろいよね、などと思いつつ迎えた分子生物学会年会とTokyo RNA Club。然もありなん。ミーティングルームの光の強弱には細心の注意が払われ、時間にはベルがとことんなった。ポスターは風でとばなかったし、行方不明になったという知らせもなかった(年会プログラム委員長を務めました)。おそらく、これからも長らく変わることはないのだろう。グローバリゼーションのゆったりとした足踏みは、こんな些細なところにも見出される。
10月10日昼前に電話がなった。「塩見さん?」「はい」「XXです」。が、その声に聞き覚えはなかった。日頃、不審な不動産業者から電話があり、今日もそれかなと思うと対応が自然と冷たくなった。数回「XXです」と繰り返される。そしてやっと「野本です」と聞き取れた。すぐに判らず申し訳ありません!と思いつつ、即、丁寧な対応に切り替え会話を続けた。受話器の向こうの声は、馴染みのあるそれとは違っていたけれど、口調は確かに野本先生だった。療養中と聞いていた。でも、お元気そうだった。が、一ヶ月後、とても悲しい知らせが舞い込んだ。あの電話で、もう少しの間、世間話でも出来たら良かったのに、と今となって悔やまれる。