この度、第8期日本RNA学会会長に就任致しました。志村令郎先生(1〜2期)、渡辺公綱先生(3期)、中村義一先生(4〜5期)、塩見春彦先生(6〜7期)という、まさに日本のRNA研究をご尽力によって牽引してこられた先生方の後任ということで、少なからず緊張致しておりますが、私なりに大役を全うする所存です。2年間、どうぞ、よろしく御願い申し上げます。

会長就任にあたり一言を、ということで、北畠新編集幹事から本稿執筆の依頼を受けました。何を書いたら良いものかしばらく考えておりましたが、どうしても頭から払拭しきれないものがあることに気がつきました。2014年2月あたりから世間をにぎわせている、所謂STAP問題です。会長就任の挨拶が、清く明るい話題でないというのも如何なものかとも思いますが、本問題から得られるものは何もないというわけでもありません。普段は考えもしない事柄を、普段は殆ど使わない頭の一部分を酷使しつつ考えを巡らすのも悪くなく、正直不思議な感じです。

「サイエンスとは何か?」。ある英語の教科書をみてみますと「To know」だと書いてあります(キャンベル著「Biology」)。これを単純に訳すと「知ること」となりますが、もう少し格好よくいうと「真実の探求」とでもなるでしょうか。まさしく、我々RNA研究者を含め生命科学研究者が日々追っていることは、生命界における真実の探求、なのです。例えれば、発生や免疫、知能、もっと細かいところでは microRNA の生合成や遺伝子発現制御でも良いのですが、そういった事象の中で未だに判っていないことを見定め、その仕組みや調節機構、相互関係を明らかにすること、となるでしょう。

何故、生命科学研究者は生命界における真実を探求するのか。これは個人個人で想いは異なるかもしれませんが、ひとつは、ただただ単純に判らないことを知りたいという欲求。もう一つは、非常に優等生的な答えかたかもしれませんが、人の幸福(安定した生活や長寿)につながるからだといえるでしょう。へえ〜、塩見さんはショウジョウバエを使った研究をしているけれど、それが人の幸福につながると思っているの?という質問もあるかもしれません。が、答えは Yes です。私は既に15年程ショウジョウバエをモデルとして研究を続けていますが、私にとってハエはあくまでもモデル生物であって、生き物としてショウジョウバエに興味があり、ハエを深く知りたいから、なのではないのです。生命、生物というものに興味があり、それをより良く理解したから、そしてさらに言うと、自分をはじめ、娘や孫やその子供達に幸福な生活がもたらされることを願っているからという背景があるのです。

何故、研究者は真実を探求するのかという問いに対する二つの答えを上記してみましたが、そのどちらにも「ネガティブな要素」は見当たりません。研究者という職業を清く正しいもの(勿論胡散臭いという人も多いでしょうが)とイメージさせる理由もここにあるのかもしれません。では、我々は基本的に「良いこと」をしているのだから、何か新しいことを発表しさえすれば、しかもインパクトが大きければ、生データを保管していなくても、論文の図は「イメージ」でも、どこかで既に publish したものの使い回しでも良いのか。STAP 問題を追っていると、そう主張する人が実際世の中に存在することが判り、驚くのですが、はたしてそれで良いのでしょうか。

少し冷静になって考えれば判りますが、そんなことは決してありません。我々は研究をすることをプロフェッションとしています。プロとは、仕事をすることによって生計をたてることが出来る人をさします。そういう意味で、私も本会報を読んでいる貴方(貴女)もプロの研究者(あるいはその卵)であるわけで、しかも、研究を実現のものとする源「研究費」の大半は国から来ます。元を正せば国民が支払う税金なのです。生活費も実は税金から支払われている、という研究者も多くいるでしょう。この事実を一時たりとも忘れてはならない、それがプロというものなのです。最終に至るプロセスなんかどうでも良い、と許されるのは、研究費も生活費も誰にも頼る事無く工面できる人のみに限られた特権です。研究は莫大な費用を必要とするので、そういう特権をもつ人は極めて少ないでしょう。研究をするために公費を使わせていただくのなら、その使用にあたって定められた「ルール」に従い、プロとしての自覚をもちつつ仕事に専念しなくてはなりません。そんなこと判ってるよ、という輩も多いかもしれません。それはそれで嬉しいこと。しかし、STAP 問題が巷で大きく取り沙汰されている今、我々研究者の意識、姿勢をきりっと正す、ちょうど良い機会なのではないかと思います。