第13期会長に就任しました大阪大学生命機能研究科の廣瀬です。私は日本RNA学会の発足時からの会員で、この学会と共に研究の道を歩んできました。発足当時を思い起こすと、まさか自分がこのような重責を担うことになるとは想像もしていませんでしたが、これまでの偉大な先人たちが紡いできたRNAを結ぶ糸を受け継ぎ、この学会がさらに良い形で発展するよう尽力して参ります。皆様のご協力とご鞭撻をよろしくお願いいたします。

さて、最近心に浮かんだことを少し書きたいと思います。

大阪には中之島美術館という素晴らしい美術館があります。先日、長らく気になっていた日本画の展覧会に、最終日にようやく訪れたところ、予期せぬことに入口には長蛇の列ができていました。東京なら当たり前かもしれませんが、これほどの賑わいは大阪では珍しいことです。最終日ともなるとこうなるのかと、列の最後尾に並んでいると、「クロード・モネ展の方はこちらの列です」という声が聞こえてきました。なるほど、今日は並行して開催されていたモネ展の最終日でもあったのでした。モネ展の列をかき分けて進むと、そこに静かに目的の日本画展の入口がありました。ほっとしつつ、向こう側の長蛇の列を横目で見ながら、以前はあちらに並んでいたはずの自分がこちら側にいることに、改めて気づきました。日本画を好んで見るようになったのは、ここ数年のことです。それまでは西洋絵画の展覧会でかなり気合を入れて絵画と対峙していた気がしていますが、いつの頃からか絵画に癒しを求めるようになったのが日本画に惹かれた大きな理由かもしれません。そもそも日本画に癒されると感じられるのは、絵画の中にしばしば登場する野鳥や昆虫が実に魅力的に描かれていることを認識してからです。彼らは描かれている季節の情景に最もフィットした場所で、一番魅力的な姿勢で描かれています。例えば、春風に乗ってくるツバメ、梅にウグイス、目に青葉山ホトトギスといった光景です(もっとも、梅に来るのはウグイスではなくメジロだという話もあります)。こうした周囲の情景と一体化して生き物を感じる感性は私たち日本人独特のものでしょう。西洋絵画に登場する同じ素材は写実的であっても、これほど魅力的に描かれていることは稀なように思われます。対象への造詣の深さが明らかに異なっているのを感じます。

 こんな思いを巡らせながらこの原稿を書いていると、上空をホトトギスが二声三声鳴きながら通過していきました。毎年この時期に遭遇する私にとっての初夏の情景です。

自然界の生き物への日本人の造詣について考えさせられた印象的な体験をもう一つ紹介します。20年ほど前、米国でポスドクをしていた頃、私が住んでいた東部のコネティカット州は、みずみずしい落葉広葉樹の美しい森がどこまでも広がり、四季折々の情景が見られる場所でした。しかしながら、アメリカの少年たちが昆虫採集をしているところを見たことがありません。アメリカでは、コガネムシが緑であろうと黒であろうと黄金色であろうと、さらにはそこにツノがあろうとハサミがあろうと、すべてBugです。夏になって、セミが何と鳴こうが、何年ごとに鳴こうが、すべてCicada、秋の夜長に鳴く虫はすべてCricketといった具合です。日本なら、少なくともカブトムシ、カナブン、ミンミンゼミにアブラゼミ、ツクツクホウシ、さらにはスズムシにエンマコオロギくらいはたいていの子供は知っているでしょう。そもそも日本の家庭でよく見かける昆虫図鑑のようなものはアメリカには存在せず、図鑑といえば専門的で重厚なものに限られるようです。アメリカの子供たちが虫取りをしないのは、こうした種類の知識を軽視する風土が背景にあるように思えます。

RNAの研究者として長年漠然と思ってきたのは、こうした日本人特有の感性をどのように研究のオリジナリティとして醸し出せるかということです。日本画家と同じように、私たちには欧米研究者には捉えられない特有の視点や感性があるのではないかと思っています。そして、根拠はないものの、そうした感性はRNA研究にこそ威力を発揮できるのではないかと感じています。RNA研究は昔から、日の当たるメインストリートを厭う裏街道に集う人々が、アウトローな独特のこだわりを持って取り組んでいると言われてきました。そんな中で、RNAに対する愛着、RNAを美しいと感じる感性は、RNA学会員の多くが共有できるものでしょう。こうした中から、欧米の華々しい研究とは一味違うフレーバーの研究が知らぬ間にすでに生み出されてきているのではないかと思います。そうした研究をぜひ強く醸し出せる学会であってほしいと思います。昨今、学会の国際化が叫ばれていますが、国際化は海外からの研究者に門戸を開き海外の研究を取り入れるだけでなく、日本の研究フレーバーを海外に向けて強く発信する場でなくてはなりません。

それにしても、日本の研究のフレーバーとはどのようなものでしょうか。最近、私の研究室で学位を取得した学生が、米国MITの新進気鋭のRNA研究者のラボにポスドクとして行くことが決まり、指導教員としては鼻高々です。しかし、その学生が言うには、面談の際にMIT教授から「サイエンスへのマインドを変えた方が良い」と何度もアドバイスされたそうです。これはどういうことでしょうか。米国の大学院生が学位を取得するまでには、厳しいディフェンスを通過する必要があり、その度に「この研究の重要性は何か」「なぜそれを選択したのか」「何を目指しているのか」といった本質的な質問を繰り返し問われます。それに対して、日本の学生は比較的穏やかな空気の中で学位を取得します。このような研究への潜在的な意識の違いを、敏感に察知して指摘してきたのではないかと思われます。これは指導教員の問題でもあり、MIT教授に指摘されるとこちらも後ろめたさを感じます。しかし一方で、この文章を書きながら、ひょっとしたらこの点が日本のサイエンスのフレーバーなのではないか、と一縷の希望を見出しています。これが日本特有のオリジナリティに繋がるフレーバーなのかどうかは、その学生がMITにてどのように成長するかで判断できるのかもしれません。これから新世界に旅立つ学生への激励の中には、こうした複雑な思いが混在しています。

今年もまた年会の季節がやってきます。東京開催は4年ぶりで、年会長の程先生をはじめとした組織委員のみなさんのご尽力により、多くの著名な海外ゲストが登壇される華やかな会になりそうです。そうした中で、若い研究者の方々のオリジナルな研究成果が聞けるのを楽しみにしています。そして日本が誇れるフレーバーの薫る研究を是非とも見つけたいと思っています。

みなさん、東京でお会いしましょう!