本学会名誉会員の古市泰宏先生が令和4年10月8日に御逝去されました。
古市先生は1940年に当時の城津市(現在の北朝鮮金策市)の古市薬店にお生まれになり、終戦後、ソ連軍が侵攻してくる中、18ヶ月に渡る引き上げ逃避行の後に、ご両親の実家のある富山に6歳のときに帰国されました。その後、富山大学の薬学部を経て東京大学薬学系大学院に進学し、衛生裁判化学教室の故浮田忠之進教授のもとで「プライマー依存的にオリゴヌクレオチドを作るためのPNPaseの研究」に携わりました。1970年に学位を取得後、国立遺伝学研究所に新設された分子遺伝部の故三浦謹一郎先生の研究室の研究員として赴任し、蚕細胞質多核体病ウイルス(CPV)のRNAポリメラーゼによる転写反応とウイルスゲノムの末端構造研究を開始しました。この時、CPVのin vitro転写系にS-アデノシルメチオニン (SAM) を加えるとmRNAの合成が著しく促進されることを見出し、この発見をきっかけとしてCPV mRNAの5'末端にはnon-nucleosidic material (NNM) と名付けた化合物とメチル化されたアデノシンがついていることを明らかにしました。その後1974年に、三浦先生の共同研究者でもあった米国ニュージャージー州にあるロシュ分子生物学研究所の故Aaron Shatkin博士の研究室へ留学し、当時は非常に高価であり日本の研究室では入手が困難であった3H-2-SAMを用いてNNMが7-methyl-Guanosineであることを証明しました。NNMは当時blocked and methylated terminal structureと呼ばれていましたが、Shatkin博士と共同研究をしていたJames Darnell博士との共著論文執筆中に「キャップ構造」というニックネームが誕生し、以来、分子生物学の教科書の1ページを飾り続けることになります。古市先生といえばキャップ構造ですが、当時浮田研究室の助教授であった早津彦哉博士が開発したbisulfite法を用いてtRNAのRNA修飾を調べたパイオニアの一人であることも忘れてはなりません。
その後1985年まで古市先生はShatkin研究室のまさに「番頭」としてキャップ構造研究の金字塔となる研究を続けられていましたが、ちょうどその時期はニューヨーク・ボストンエリアでmRNAの基本構造についての新発見が相次いだ時代に相当します。Jim Darnell博士の核内mRNA前駆体hnRNAの発見、Nahum Sonenberg博士とWitold Fillipowics博士およびSevero Ochoa博士によるキャップ結合タンパクeIF4Eの発見、Phil Sharp博士とRich Roberts博士によるRNAスプライシングの発見 、Thomas Cech博士によるリボザイムの発見をはじめとした数々のマイルストーン研究を現場で目にしてこられた古市先生。その生き生きとした体験談を綴られた「走馬灯の逆廻しエッセイ」は、日本RNA学会会報の人気コーナーでした。2022年4月9日に配信されたエッセーではmRNAワクチン開発者のお一人であるKathalin Kalicoさんとの最近のご交友について書かれていたほか、幼少期のころの戦争の思い出にも触れておられ、もうすぐ最後の回になるかもしれないということを予知していたかのような筆致に、胸が締め付けられる思いがしました。古市先生はRNAコミュニティーにおける生ける伝説であり、古市先生の盟友である故野本明男先生が研究総括を努めておられたJSTさきがけ研究「RNAと生体機能」の懇談会では、若手研究者が古市先生を囲んでこれらクラシカルなRNA研究のエピソードを伺うのが恒例となっており、日本のRNA研究を常に気にかけてくださり、また後に続く研究者を励まし続けてこられたその姿をもう見ることが出来ないのが残念でなりません。
1985年に帰国された古市先生は鎌倉の日本ロシュ研究所(現中外製薬研究所)に新しい分子遺伝部を立ち上げて創薬研究に打ち込まれたほか、米国との交流を活かして国際ミーティングを主催し、日本と米国の研究の橋渡しに務められました。古市先生のご交流は基礎研究者だけでなく大手製薬会社からベンチャー企業まで多岐にわたり、日本のRNA研究を広く国際的に知らしめる上で大変大きなご貢献をされました。2019年には長年のRNA研究への貢献に対して日本RNA学会の名誉会員の称号が贈られたほか、2021年には日本医療研究開発大賞(文部科学大臣賞)を受賞されました。「研究者として、基礎と応用の両方を考えることが大事です」。最後にいただいたメールの言葉を胸に、これからもRNA研究に打ち込んでいきたいと思います。安らかにお休みください。
令和4年10月13日
日本RNA学会会長 中川真一