理化学研究所生命機能科学研究センターの伊藤拓宏です。この度の第12期評議員への選出は大変光栄であり、身の引き締まる思いです。日本RNA学会が学会員のみなさんの研究推進の一助となるべく、中川新会長の下で運営に携わってまいります。どうぞよろしくお願いします。
私は小学校3年生の時から剣道を習い始め、大学卒業まで剣道部に所属していました。現在剣道六段を頂戴しておりますが、ここ数年はほとんど稽古ができていません。このままでは本当に剣道を忘れてしまいそうなので、どこかのタイミングで再開しよう!と思いつつ、コロナの影響もあり、ずるずると再開できずにいます。
私が思うに剣道の面白いところは、10代20代の青年剣士が60代の師範格の先生にかかっていったときに、一本を取ることができないどころか、いとも簡単に一本を取られてしまう、というところにあります。実際に、私は学生の時分には平均よりは上の実力があったと思いますが、大学剣道部師範である範士九段の先生にかかっていっても、相手に竹刀がまともに当たることはほとんどありませんでした。当然、100m走や幅跳びをすれば私が勝ったはずですし、単に竹刀を振る速度を競えば私の方が速かったはずです。でも、全く歯が立たないのです。これらのことは、剣道において一本を取るということに対して、足の速さや竹刀を振る速さといった単純な動きの速さは決定的な要素ではなく、長年の経験とそれに基づく理にかなった動きというものの方が支配的である、ということを端的に示しています。師範にしてみれば、私が攻めようとしているときも逆に守ろうとしているときも、私の先の動きが経験から予想できていた、さらにはどう対処すれば自分が一本取ることができるかわかっていた、ということです。剣道の上達には、体さばきや竹刀さばきの速度を上げる・維持する努力は当然必要なのですが、稽古を通じて自分が一本を取られないままに一本を取ることができる理にかなった動き、いわゆる勝ちパターンを見出して習得していくことが大切である、と理解しています。
これは何も剣道に限ったことではなく、ビジネスや研究の世界でも同じようなことが言えると思うのです。もちろん、ビジネスや研究においては使うことができるツールがとてつもないスピードで進化していきますので、体一つで勝負するスポーツや武道の類とは異なる側面も多いのは確かです。しかしながら、「経験とそれに基づく理にかなった動き」というのはどの世界にも存在します。研究者であれば、新しい手法を取り入れたり、ハードに実験をしたりするところは若手の得意とするところですが、その手前の問題設定や、その後の論文作成のところは、まさに「経験」が必要なところです。剣道ほど瞬発的なものではないですが、「先を見る力」が重要です。そして、できる研究者には自分の「勝ちパターン」があります。PIとしては、これらの部分をいかに高められるか、そして研究室のメンバーと共有できるか、が大切であると考えます。
私は今年49歳になります。まだまだ気分はポスドクなのですが、そうも言ってはいられなくなってきました。自分の実力をさらに高めつつ、同時にこれまでの経験を次の世代に伝えていくのは研究者としての大切な使命です。また、必要になる「経験」というのは、必ずしも研究に関することのみにはとどまらないと思うのです。私に関して言えば、剣道を通して得た経験でさえ研究に生きていると感じる時があります。若い研究者の方々は、とかく目先の成果にとらわれてしまいがちですが、若いうちから様々な経験を積むことは、巡り巡って必ず研究のプラスになるはずです。海外での学会発表や留学といった機会に日本から世界へと飛び出していくことはその最たるものです。Zoomでは得られない本当の経験がそこにはあります。日本RNA学会の活動を通して、若い研究者が様々な経験を得られるように努めていきます。