コロナパンデミックがデルタ株の息切れで、ようやく終わりに近づいたと思い、安堵しながら暮れと正月を迎えたのだが、オミクロンという新規変異株が上陸して、またまた、大変なことになってしまっている。幸い、本邦ではmRNAワクチンの接種率が80%にも達しているので、重症化は避けられるはずで、大事はないと楽観を決め込んでいる。そんな折、フェースブック (FB) を開けて、多くの受信へDeletionをかけていると、フト見覚えのある名前が目に入った、Katalin Karikoとある。「エッ、これは、もしやあの人?」と、驚いて、開けてみるとまさしくその人、世界的に超有名なカリコ博士 (以後カリコさん) だった。なにやら、私と交信したくて、メールアドレスを探しているようである。この稿の読者には、紹介の必要もないが、mRNAワクチンの功労者で、世界の大きな賞を総なめして、今年のノーベル賞も間違いないと評されている超有名女性科学者だ。資産数兆円になったベンチャーBionTech社の副社長でもある。高齢になっても、妙齢の女性から声をかけられるのは悪い気分ではないが、この人とフェースブック上でやり取りするのは気持ちが悪いので、プライベートなアドレスを、塩見先生から教えてもらって返信した。カリコさんが、今年度の慶応医学賞を受賞すると聞いていたから、塩見先生さんなら知っているだろうと思ったからであり、それは正解だった。

カリコさんは共同研究者の弟子?

メールは、ハンガリーの研究者で彼女の恩師にあたるJeno Tomas (ジェノ・ト-マス) との会話の中で老生の名が出てきて、懐かしく、その恩師が失明しつつあることを伝えるメールだった。1970年代、キャップの発見の折、いろんな国の人と共同研究をやり論文を書いたが、トーマスは、唯一私の知るハンガリー人で、私の渾身の論文J. Biol. Chem. (1976)13の共著者だった (図1)。この論文では、トーマスは3人目の著者だ。キャップがどのようなプロセスで、どんな酵素によってつくられるかを明らかにしたのだが、彼にはレオウイルスmRNAの5'末端のオリゴヌクレオチドpppGpC, ppGpC pGpCやGpppGpCを化学合成してもらった。その結果、後に、レオウイルスだけではなく、細胞のmRNAキャップについても、キャップの生合成はこのようにして進むと、広く、皆が信じてくれる重要なメカニズムを提唱することが出来た。いい論文が、国際色満載の著者たちの協力で、できたのである。

図1.レオウイルスのキャップ生合成がどのように進むかを明らかにした論文。4人の著者の国籍は、左から、日本、インド、ハンガリー、米国と多彩だ。

―――とするとカリコさんは、私のかっての大事な共同研究者のお弟子さんではないか?

恥ずかしいことだが、このメール一本で、私の彼女への印象はガラリとかわってしまった。

これまで、NYタイムズなどの記事から、彼女は難しい環境のなかで、多くの失敗にもめげず、mRNAを細胞内へ入れて癌細胞などを治療するという超難しい目的を主張し続けた、強情な女性研究者かと思っていたのだが、そうではないように思われてきたのである。

脱線、苦い体験の記憶

そう、私の米国のラボにはそのような妙齢のドイツ系の女性研究者アリスがいたことがあり、実験は毎日口論から始まるという半年間の苦い記憶が、私やナフム (Sonenberg) にはあったのである。アリスは、他のラボから追い出されたのを、私が引き取ったのだったが、―――とても無理な理想実験をアリスは主張していたようだったー――今は、それが何だったのか思い出せないでいるが、一体アリスは何をしたかったのだろうか? ナフムはニヤニヤ笑って横で見ているだけで、口論には入ってこなかったが、アリスが怖かったのだ。結局、彼女は論文をJ. Biol. Chem.へ1報発表して他の研究所へ出て行ったが、その後の彼女については消息を知らない。アリスの理想と実力が、うまくマッチしなかったのが彼女の不幸だったようだが、そのすぐ傍らに、どんな口論もいとわず、独力・マイペースで実験を進める別タイプの女性研究者がいた。マリリン (Kazak) である。マリリンは、mRNA翻訳の真の読み枠がどのように決まるかを示す偉大な“Kozakルール”を打ち建てた女性であるが、それについては第8話で紹介したのでここでは触れないが、マリリンも芯が強いことにかけては別格であった。

ワイスマン教授とカリコ博士

カリコさんが、自分の理想を追い続け、ついにはシュードウリジンを使った実験により、mRNAを自然免疫を避けて働かせることが出来る大発見に到達したしたことを知った時、筆者は、彼女と並んで写っているワイスマン博士をみて、「カリコさんは確かに偉い。しかし横にいるこの髪の薄い男性はもしかして凄い人なのではないか」と思った。カリコさんにアリスの面影を重ね、ワイスマン博士には昔の自分の姿を重ねてみて「昔、私は、アリスをうまく導いてやれなかったのではないか」と反省させられていたからである。

図2 ワイスマン教授とカリコ博士 (カリコさん本人の許可を得て掲載)

ワイスマン博士とカリコさんの出会いは、ペンシルバニア大のコピー機の順番待ちの間の会話だと聞く。そうだ、私も昔、アリスが副所長と喧嘩して「どこへなりと行け!」と追い出された時に彼女が「I wish to go Hiro」といって私のラボを選んだのも、その少し前に、コピー機の傍らで転写とメチル化の話をアリスにしたからである。そんな似たような昔のことが思い出された。

―――蛇足であるが、アリスの件は、後日、副所長のワイスバック博士が研究室へやって来て、アリスのことを縷々述べた末に「すまないが、契約が切れるまでの1年間、どのようにしてもいいから、アリスを預かってくれ」と頼まれたのであり、これも米国の研究社会の1場面であり、とても懐かしい。アリスをカリコにしてやれなかったのは私の力不足のように思え、ワイスマン博士にあやかりたいところである。

近寄りがたい女性から、一転、こんどは、是非会いたい女性へ

そんなことで、近寄りがたい女性という印象から、一転、こんどは、是非会いたい女性に替わったのであるからこのメールは、大変なメールだった。その後、何度かのメール交信の中で、彼女の重要な発見である「mRNA中のウリジンをシュードウリジンを替えたことによりmRNAは自然免疫を免れることができた」だけではー――正直うまく行かなくてー――「(筆者の発見である)Cap1構造m7GpppAmpGをmRNAの頭に付けると初めてうまくいった」と言って感謝してくれたのは嬉しかった。カリコさんは4月に来日するそうであるが、そんなことで、もちろん会うのを楽しみにしている。トーマス博士には、目が悪いとのことなので、せめて音声で伝えてはどうかと、先日、米国の某シンポジュームの招待講演に使ったオーディオ付きの発表を彼女に頼んでハンガリーへ届けてもらったー――大変喜んでくれたそうである。トーマスに初めて会ったのはいつのころかはっきりしないが、多分1975年にマドリッドで開かれた国際ウイルス学会だったのではないこと思う。随分と昔のことだ。

突飛なシュードウリジン応用の大発見の背景について

このエッセイシリーズでは、大発見の裏にある背景やエピソードを、若い研究者へ伝えることを旨としているのだが、カリコさんとのメール交信から、彼女が2005年に発表した論文を初めて読んだときに筆者が感じた不思議な印象の謎が解けることになった。その印象とは、「何故、気安く、mRNA中のウリジンの全てをシュードウリジンなど修飾塩基で置き換えるという考えを思いついたのだろう」ということであった。トーマス博士は、私達との共同研究の後、ハンガリーで独立し、化学修飾したヌクレオシドの研究を行い、それらを細胞へ導入するという研究を1990年代に行ったようである。私は知らなかったが、どのような化学修飾ヌクレオチドがポリメラーゼの基質になってDNA やRNAを作れるのかをハンガリーで着実に調べていたのだ。そして、カリコさんはそんな研究文化の中で育ってPhDの学位をとり、米国へ出てきたので、1-メチル・シュードウリジンのような化学修飾ヌクレオシドをトリリン酸化してmRNAを作るという、それまで普通にはやらない試みを、平然と行い、そして、それが成功したのだろうと推理している。トーマス博士は、当然、カリコさんからの成功談を聞き弟子の快挙に「してやったり!」と喜んだに違いない。

もしかして研究をつなぐ赤い糸

素晴らしい応用研究の裏には着実な基礎研究があり、勇気が生まれることを、筆者はここでも感じた。研究は、その意味では、駅伝でタスキをつなぐようなものである。カリコさんの2005年の快挙の背後には、トーマス博士の1990年代の基礎研究があり、教育もある、もしかすると1970年代後半に彼が筆者らと一緒に働いてm7Gやメチル化ヌクレオチドなど、mRNA中に存在し、その活性に大きな影響を与える化学修飾ヌクレオチドに興味を持った共同研究から、ハンガリーのトーマス研究室の土台が生まれ、そこからカリコさんが飛び立って、米国の地で大発見に出合ったとすれば、筆者も入れて、少なくとも、3人は赤い糸で結ばれているのかもしれない。

そんな折、英国の女性科学ライターLaraさんから、バイオの企業人向けに書いたメッセンジャーRNAに関するレビュウを見て欲しいという依頼が来た。読んでみると、途中に私の1970年代の実験風景の写真が出てきた (――これは現在の私に変えてもらったが)。そのレビューは主には、欧米を中心とした人間関係と主役のカリコさんの活躍を描いたものであり、日本の遺伝研でのキャップ発見の源泉となった諸発見については (知らないらしく) 描かれてないので残念だが、出来る限りの修正を加え日本の研究をアピールしておいた。mRNA医薬の背景へ興味がある方にお勧めしたい。

https://www.whatisbiotechnology.org/index.php/science/summary/mrna/the-long-journey-mRNA-has-taken-to-reach-the-clinic

おわりに

最近、ワイスマン教授とカリコさんには、日本国際賞の授賞が報じられていて、これは大いに祝福したい。今年10月には、ノーベル賞も最有力候補とのこと、期待しながら見守りたいものである。賞には縁の薄い筆者であるが、昨年の暮れ近い12月24日に、首相官邸へ招かれて、第5回日本医療研究開発大賞・文部科学大臣賞を頂いてきたので、この稿を借りてご報告したい。コロナパンデミックに対して大活躍したメッセンジャーRNAワクチンの発見と開発の礎として、日本から発信したキャップ構造の発見の功績があり、そのキャップがシュードウリジンなど修飾塩基と並んで、ワクチン構造の中にー――なくてはならない成分としてー――使われて、多くの人をウイルス感染から救ったということが理由であった。昔の研究成果であるが、憶えていてくださって、推薦して下さった先生方にお礼を申し上げたい。賞金のつかない名誉賞であるが、折からクリスマス・ニューイヤーズGreetingCardでこのことを知らせたところ、Darnell博士、Sharp博士、Sonenberg博士など、海外の古い友人や、かっての共同研究者達からWell deserved honors! とて多くの祝いの言葉を頂いたが、これが、何にも代えがたく嬉しかった。<了>

 

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