運良く理研にPIポジションを得ることができ、帰国してから早いもので4年が経ちます。日々、自分はPIとして研究室でどう振る舞うべきか、と思案しますし、「さっきの言動は良くなかったかな」、と研究室の帰り道、内省します。改めて痛感させられるのは、これまで自分が学生/ポスドクの間に一緒に研究をさせてもらったボスたちがなんと人間として素晴らしい人々だったか、ということです。僕自身は失敗・反省の日々なのですが (ラボのメンバーのみなさんすみません、ご容赦ください、、、)、なんとか少しでもimproveしようともがくところです。学会やセミナーなどのmeeting (もちろんCOVID-19以前の世の中での話なのですが) では、establishされたPIの方々と話をするチャンスがあって、「新米PIになにかアドバイスください」とみなさんに一言もらっていました。こういった一言が自分にとって金言だったのは言うまでもないのですが、これから研究室を持ちたいあるいは今まさに持とう、と考えいらっしゃるRNA学会員のみなさまにも一助なろうかと思いますので、それらの中で印象に残っている言葉の端々をここでご紹介したいと思います。ご本人には全く了承をもらっていませんし、僕が拡大解釈・事実誤認をしている可能性も大いにありますので、そのあたりは話半分に読んで頂くのが良いと思います、、、

「自分で全部やろうとするな」 (Haruhiko Siomi, Keio University)

=人に任せろ、という意味です。人ひとりができることには限度があり、1から10まで自分でやろうとすると (もちろんやらないと納得できない人もいるだろうが)、とても時間が足りないし、研究が進まない。なるべく研究室のメンバーを信頼して人にやってもらうようにしなさい、というアドバイスです。

"Be brave" (Jennifer Doudna, University of California, Berkeley)

UC BerkeleyでポスドクをしていたときにはよくJenniferのラボの機械を借りに研究室にお邪魔していたんですが、彼女がJapan Prizeの受賞で日本に立ち寄ったときに、話す機会があって会話に上がった言葉です。自分のラボができると基本的にはそれまでにやっていたことの延長線をやることが多いと思うのですが、必ずしもそれに縛られることなく新しいことに挑戦しなさい、という意味合いだったと記憶しています。

「周りが自分と同じようにできると思うな」 (Tatsuya Hirano, RIKEN)

若手PIの典型的な失敗としてよくあることとして、新米PIはやはり自分を基準に考えるので、自分ができることは周りの学生・ポスドクも同じ様にできるだろうと思ってしまう。結局PIが思い描いた通りにうまく行かないことが往々なので、室員と険悪になってしまう、という話を伺いました。「PIと同じ様に実験できたらみんなPIになってる」のだから、若干尊大に構えておくくらいでちょうど良い (PIにとっても室員にとっても)、というアドバイスです。「PatienceがPIの仕事」(Takashi Fukaya, The University of Tokyo) と読み換えてもよいと理解しています。

「人選びが何より重要」 (David Schlessinger, NIA)

Watsonの最初の大学院生だったDavid Schlessingerさんが、慶応大医学部の100周年記念式典に参列され、来日されたときに伺った話です。なによりも良い人材を研究室にリクルートすることが重要だし、Davidさん曰く仕事を一緒にすることが難しい人材が一人でもいると (彼曰く"monster"とおっしゃっていました。どんな経験があるのかは聞きそびれましたが、なんだかすごそう、、、)、研究/研究室が立ち行かなくので、慎重に人選びはしなさい、とのことでした。

「可能な限りラボにいること」 (Daniel Lim, UCSF)

Tokyo RNA clubに来たDaniel Limさんと立ち話する機会があってもらった言葉です。彼ほどの素晴らしい成果を挙げているといろんなmeetingに引っ張りだこになって世界中を飛び回っているはずなのですが、それでも可能な限りラボにいるようにしている、とのことでした。やはりラボにいるとラボメンバーのアクセスしやすくなるので、良いnewsと悪いnewsをいち早くcatch upできるという話をしていただきました。(逆にボスがいないほうがのびのびできる、というラボメンバーの意見はあるでしょうが、、、)

「学生は自分の鏡である」 (Allan Drummond, The University of Chicago)

学生は基本的に、ボスの言動を見て育つものなので、自分の鏡みたいなものである。常に見られていると思って立ち振舞いましょう、という意味です。緊張感が走ります、、、

「『何をやるか』と同じくらい『何をやらないか』も大事」 (Takuhiro Ito, RIKEN)

自分の研究室をもつと、基本的にどんな研究でもできようになります (自分自身ボスなので、他の誰かの承認をいちいちもらわないでよい)。ですので、あれもできるな、これもやりたいな、と触手を伸ばしてしまいがちです (実際自分も例に漏れず、、、)。ただ、時間とお金とman powerは有限なので、何を研究すると決めることと同じように、これはやめておこうと潔く心に決めるのも重要とのアドバイスです。

「『できること』ことばかり考えるな」 (Hiroaki Suga, The University of Tokyo)

= 『できないこと』をやれ、という意味です。RNA frontier meeting 2018を東大の池内さんとorganizeさせていただいたのですが、東大の菅先生に招待講演をしていただきました。深夜お酒が入って、若手たちに檄を飛ばしていただいたときの一言だったと記憶しています。往々にして、自分が今できる手札の中から次は何をしよう、と考えがちだが、そうではなくて、今誰もできない研究とか手法を考えなさい、という意味合いです。環状peptideを自在に作る合成生物学的アプローチを確立されてきた菅先生の話と相まって、僕には刺さる一言でした。

「セブンイレブンの冷やし中華」

どのテレビ番組だったか忘れましたが、セブンイレブンの冷やし中華の努力について聞いたことがあります。セブンイレブンの冷やし中華は安定の味でいつ食べても昔から同じ味だと、勝手に思っていたのですが、実は毎シーズンちょっとずつ味や素材、調理法を変えていて (夏と冬にはスープの酢の量すら微妙に変えているらしい)、マイナーなupdateを繰り返しているという話を聞きました。つまり、常にimproveし続けて、やっと「いつも同じだね」、と周りから言ってもらえるレベルに達することができる、ということのようです。おそらく研究もまったく同じなんだろうなと想像します。

COVID-19によって世の中が変容しつつあります。しかし、よくよく考えれば、こと生物学の研究に関しては大きなgame changingはこれまでにたくさんあったんじゃないかと想像します。例えばDNAの二重螺旋の発見の前後だったり (そもそも遺伝物質が何か分かっていない時代の研究は想像ができない)、ゲノム配列の解読の前後 (それまでは遺伝子をcloningしただけで論文になった) は研究自体が全く変わった瞬間だったのでは無いでしょうか。今の世代の研究者が「昔はネットなんかなくて論文は図書館に行かないと見れなかったらしい」とか「論文投稿は船便でおくっていたらしい」とか、そういう世間話をしているのと同様に、COVID-19-nativeの次世代あるいは次次世代が「昔は学会ってon lineじゃなくて、直接集まっていたらしいよ」とか「研究室行かないと実験できなかった時代だったんだってさ」という会話をしていることが想像されます。おそらく、生物学者はこのCOVID-19の世の中にもすぐ順応して、コンビニの冷やし中華に負けず劣らず冷やし担々麺くらいに?すぐなってしまうんじゃないかなーと勝手に妄想するところです。