平成30年4月30日、世界的なRNA研究者の一人であるProf. Elisa Izaurraldeがご逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。RNA学会では、Prof. IzaurraldeのRNA研究への多大なご貢献に感謝し、Iain Mattaj研究室で同時期にポスドクとして在籍していた大野睦人会員に追悼文をいただきました。

Elisa Izaurraldeの思い出 

大野 睦人(京都大学ウイルス・再生研)

Elisa Izaurraldeが逝った。58歳だった。私は1996年から2002年頃までEMBL (ドイツハイデルベルク)のIain Mattaj の研究室にほぼいたが、その前半がElisaのポスドク時代と重なっている。Elisaの個人的なことはほとんど知らない。ウルグアイという国の出身で、SDS/PAGEで有名なスイスのLaemmliの研究室でPh.D.を取った。Laemmli研ではあまりhappy ではなかったらしいが、彼女の才能はMattaj 研で開花した。CBC関連の初期の仕事で、CellやNatureを連発し、その後もコンスタントに良い論文を出し続けた。

Elisaはaggressiveで研究に厳しい人だった。そのため、他のポスドクとぶつかることも多かった。ボスのIain Mattaj と廊下で怒鳴りあっていたこともあった。それくらい研究に真剣だった。必死だったのだ。データがきれいで良く実験する人だった。私が日本から最初にEMBLに着いたのは、飛行機の遅延の為、日曜日の夜中だった。その時間でもMattaj 研ではスペイン語を喋る3人娘がまだ実験していて、Elisaはそのひとりだった。近くの研究室ではスペイン人のJuan Valcarcelもまだバリバリ実験をしていて、スペイン語圏の人たちの働きぶりに対する認識が変わった。

彼女には優しい面もあった。ヨーロッパの人たちは挨拶をする時に頬っぺたを交互に何度かくっつけて擬似キスのようなことをする。最初にElisaと挨拶した時に慣れない習慣に戸惑っていると、耳元に小声で"Three times" と教えてくれた。

茶目っ気もある人だった。Iainが日本のお土産に梅昆布茶を買って帰った時、その酸っぱい味に「日本人はこんなものを飲んでいるのか」と大騒ぎして、そのpHを測定したらしい。pHはいくつだったのだろう。また、彼女がEMBLを去る時に、同時期に去る古株ポスドクと一緒にさよならパーティーを開いたのだが、そのパーティーのタイトルは"Extinction of Dinosaurs"(恐竜の絶滅)だった。それくらいEMBLが好きで長くいた。EMBLを去り独立してからの彼女の活躍はみなさんのよく知るところであろう。

ウルグアイから出て、ヨーロッパを、世界を、この世を全速力で駆け抜けたElisa Izaurraldeの冥福を祈る。