私は、現在スウェーデンにポスドクとして留学している倉田竜明といいます。これまでRNA学会とは関わりはありませんでしたが、今年発表した仕事で会長である鈴木勉先生に解析を依頼したことをきっかけに今回このお話をいただきました。鈴木先生、そして編集幹事の甲斐田先生にはこの様な機会を与えていただき感謝しています。RNA学会の会報には面白く、また勉強になる内容が多く、「海外より」の記事も読ませていただいていました。多くの方の情報・体験談が書かれてありますから、留学一般的なことよりもむしろ、私が所属する研究室で経験したことと、(皆さんあまり馴染みがないであろう) スウェーデンのことについてこの場では書いていくことにします。
まず自己紹介ですが、私は修士課程まで法政大学の山本兼由先生のもとで大腸菌の機能的5’-UTRや新奇ペプチドに関する研究を行い、都立大 (旧首都大) の加藤潤一先生のもとで大腸菌の16S rRNAプロセシングに関わる仕事で学位を取得しました。その後、立教大の末次正幸先生のところでゲノム合成に向けた独自のDNA連結法の開発に従事しました。所属ラボの主要参加学会ではなかったこともあり、これまでRNA学会に参加したことがありませんでしたが、RNAに関する仕事をしていたので興味のある学会でした。
留学の経緯
留学についての印象ですが、学位を取ってからポスドクを始めた頃はまだ海外で仕事をすることはあまりイメージできておらず、漠然としていました。しかし末次研の同僚の高田啓さんが先にスウェーデンのVasili/Gemma研へ留学し、その後向井崇人さんがイェール大のDieter Söll研から末次研に助教としてやってきて色々と話を聞いていくうちに、身近なものになっていきました。そしてポスドク3年目、メインプロジェクトもほぼ順調に完了し、雇用元のグラントも終了となったので次の所属先を考えることとなりました。その際、再び博士課程まで行っていたRNAや翻訳に関わる仕事をしたいと考えていました。そんな中、留学中の高田さんと連絡を取っていた時にVasili/Gemma研へのポスドクの口があると聞き、アプライしてみることにしました。インタビューはSkypeで行い、主にお互いの研究内容とこれからのプロジェクトに関して話しました。英語でのコミュニケーションはお世辞にも十分なものでなありませんでしたが、自身のことを話すためにスライドを用意しておいたのでなんとかなりました。むしろ問題だったのは着任時期で、私としては兼任講師として講義と実習を行う予定があり、それらが終わった後の7月ごろの着任を考えていたのですが、彼らにはそれは遅すぎるとのことでした。そこで兼任講師の職を紹介してくださった山本先生と末次先生に事情を説明したところ、ありがたいことにお二人とも留学を後押ししてくださり、兼任講師の職は辞退させてくださいました。その後ビザも無事取得でき、4月中頃に日本を発つことになりました。私にとっては初めての海外でしたが、高田さんから色々とスウェーデンでの生活についてアドバイスをいただき、スムーズに準備できました。また、ビザ取得のために雇用者側からの書類が必要でしたが、その点もGemmaがスムーズに用意してくれました。そして成田―ヘルシンキ―ウメオと12時間ほどのフライトを経てスウェーデンへと到着すると、空港へGemmaと高田さんが迎えに来てくれていました。しかし無事到着したのも束の間、不幸にもロストバゲッジに会い、リュックひとつで大学が用意してくれていたアパートまでGemmaの運転で向かいました。ところがそのアパートもキッチン以外は電気が通っておらず、なかなか大変な始まりだなと思いました。ただし、現在スウェーデンは深刻な住宅不足にある状態で、渡航と同時にアパートに入居できることはむしろラッキーな方で、アパートも広めです。こうしたロストバゲッジや電気の問題もGemmaが親切にも対応してくれました。
Vasili/Gemma研にて
Vasili/Gemma研は生化学者のVasili HauryliukとバイオインフォマティシャンのGemma AtkinsonがそれぞれPIとして共同でラボを運営していています。どちらかといえばGemmaは黙々と仕事をする一方、Vasiliはおしゃべり好きで、仕事の合間によくラボやオフィスに来て雑談しています。「ラボメンバーの成功が我々の成功だ」ということで、キャリア形成についてもアドバイスやサポートをしてくれます。研究テーマは翻訳反応を中心として、緊縮応答や翻訳伸長、抗生物質耐性などをターゲットとしていて、多国籍なポスドクがメインのラボです (写真1)。
写真1. ランチルームにて、ラボメンバーの誕生日会
ラボで参加して最初の問題はやはり英語でした。ただ、VasiliもGemmaもその点に関しては寛容で、半年くらいは英語とラボになれることに専念してくれれば、データは出なくても大丈夫というスタンスでした。その様な中で高田さんには、英語でのコミュニケーションのサポートやVasili研の実験テクニックのティーチングをしていただきました。これがなければラボに適応するのにはもっと時間がかかったと思います。その間経験したこととしては、修士の学生 (スウェーデンでは毎年数ヶ月間だけラボに所属する) の面倒を見たことは英会話の面で良い経験になりました。というのも、同僚のポスドクたちと研究について話している場合には、拙い英語でもこちらの言いたいことを理解してくれますが、まだ実験の経験も少ない学生に教育するとなると内容を正確に伝えないと理解してくれないので、その点は苦労したところでした。
私は実験系のポスドクなので研究の話をするのはVasiliとの方が多いのですが、ラボに参加してちょうど半年くらいの頃、彼と本格的に仕事をすることになりました。それは産休中のPhDの学生の論文 (私のファーストプロジェクトの前身) のリバイズで、期限がある中でのシビアなものでした。予定していた実験は多少苦労もありましたが、無事期間内に良好な結果が得られてホッとしていたところ、ちょうど年末頃にエストニアにあるVasiliのもう一つのラボから新しいデータが出てきて、そこから論文とリバイズの方向性を変えることになりました。そこからまた新しい実験系を立ち上げるなど苦労もありましたが、そちらもなんとかデータを揃えることができ、リバイズを終えられました。このリバイズを通じてVasili/Gemma研のワーキングスタイルを実感できたと思います。まず一つ目は、Vasiliは基本的に慎重派で、ソリッドな実験データに基づいていないとこちらの主張もなかなか通りにくいということです。ただ、私もどちらかというと同じ様なタイプなので、これはむしろ好相性だったと思います。この点は末次研で鍛えられたことでもあります。二つ目は研究のスピーディーさです。リバイズの方向性は返答が来た日にもう決まりましたし、他の拠点や共同研究先から上がってくる強力なデータによって研究の方向性も臨機応変に変わっていきます。この様な中でうまく主張を織り交ぜていくには、極端な話、日本との時差ですらハンディキャップになるのではないかと感じてしまうほどでした。
その後、再びファーストプロジェクトに戻りましたが、リバイズを行なったプロジェクトを含めどちらもバクテリアのトキシン−アンチトキシンがメインでした。ただ私としては翻訳に関わる仕事もしたかったのと、上記のプロジェクト内で翻訳を特異的に阻害するトキシンをいくつも発見していたので、それらのタンパク質を精製する系も並行して構築していました。通常トキシンタンパクを精製することは難しいのですが、幸運にも構築した系がはたらいてくれて、翻訳阻害活性を持つタンパク質を部分的ながら精製できました。これがきっかけでファーストプロジェクトよりもこちらを優先することとなり、そこからは新たに実験解析系を確立したりなど、かなり自由に研究を進められました。またその過程で新たなtRNA修飾を発見し、先述の通り鈴木先生とも仕事ができました。この間僅か1年程でしたが、とても研究に集中でき、刺激的な時間でもありました。また、最近のVasili/Gemma研ではこれくらいのペースがスタンダードになっています。
現在はファーストプロジェクトに戻りこちらもまとめに入っています。またVasili、Gemmaと共にこの8月からスウェーデンのルンド大に移り、ラボの引越しも大忙しです (写真2)。ラボのテーマもトキシン−アンチトキシンやバクテリオファージへとシフトしつつあり、そのきっかけとなる仕事に深く関われたことはいい経験になっていると思います。
写真2. ルンドに到着したラボ引越しのトラック
スウェーデンについて
スウェーデンは北欧の南北に広がった国で、地域によって気候は違うものの、日本と大きく異なります。とりわけ私が滞在していたウメオは極圏まで数百kmとスウェーデンの比較的北部に位置し、オーロラも見える様な場所です。夏は約2ヶ月間真っ暗になることはなく、この長すぎる日照時間に慣れてさえしてしまえば、気温は25℃以下で乾燥しているためとても過ごしやすいです (写真3)。しかし、この天国の様な短い夏が終わると長く厳しい冬がやってきて、日照時間は急激に短くなっていき冬至になると4時間ほどで、気温も−20℃以下まで落ちます (写真4)。風はあまり強くないので、きちんと厚着をしていれば個人的には寒さはさほど苦ではありません。むしろ短い日照時間の方が精神的に堪えました。ルンドにはまだ数度しか滞在していませんが、歴史的で綺麗な町並みという印象です。生活に関しては、とても綺麗な自然に囲まれていながらも、大学がある様な都市であれば必要なインフラや施設が整っており、快適に生活できます。
写真3. 夏至近くのウメオの空 (7月 深夜12時)
写真4. 冬の夕方の大学キャンパス (1月 午後4時)
ウメオ大はあまり馴染みの多くない大学かもしれませんが、昨年ノーベル化学賞を受賞したEmmanuelle CharpentierがCRISPRについて主要な発見をしたのがここウメオ大で、昨年から大学もお祝いムードです。もちろん大学や学部によるでしょうが、私が研究していたところでは実験をサポートするファシリティも充実していて、ガラス器具の洗浄・実験消耗品や試薬の販売・遺伝子クローニングやタンパク精製などのサポートが受けられます (写真5)。これらのおかげもあり、研究にとても専念しやすい環境が整っています。さらにクライオ電顕のファシリティーは北欧での一つの拠点にもなっています。
写真5. 24時間購入可能なウメオ大の試薬ファシリティ
これはスウェーデンに来てから知ったシステムなのですが、若手ポスドク (学位取得後一定年数以内) に向けたstipendというものがあります。このシステムはいわゆる一般的な給与形態であるsalaryとは異なり、名目上は給付金や奨学金といった位置付けられるため、納税が免除されます。そのため雇用側も比較的安い費用で若いポスドクを雇え、若手ポスドクにとっても雇用の機会を得やすいという双方のメリットがあります。スウェーデン社会に全体に感じることですが、若い人への投資が積極的に行われている様に思えます。ちなみにPhDの学生 (4年での学位取得が一般的) は基本的にsalaryで雇用され、労働組合などもある様です。この様なことから、もしスウェーデンに留学してみたい研究室があれば、できるだけ若い方がチャンスはつかみやすいでしょう。
話は少しそれますが、Vasiliは「サイエンスに関する情報はこれが一番」と言ってTwitterをよく利用しています。留学先のラボやその募集を探すのにはそうしたSNSを利用するのもいいと思います。場合によっては正式にポジションがオープンになる前からなんらかの情報が出ていることがある (Vasili/Gemma研しかり) ので、そう言った情報を踏まえたカバーレターなどを用意するとその後がうまくいきやすいのではないでしょうか。それから、ひとえに海外といっても色々な研究室がありますので、留学先のラボがどういうところなのか、何らかの形で参照しておくことは当然ながらとても重要です。
最後に
留学前からこれまで色々と苦労することもありましたが、現在充実して研究できています。この間、家族を含め、高田さんや山本先生、末次先生には親切に協力していただきました。留学は海外で研究や生活を経験できるチャンスである一方、大きなライフイベントになるので、周囲の方々の協力というのはいずれの形にせよ必要だと思います。