島根大学医学部微生物 飯笹 久

 microRNA(miRNA)の発見について、今年度ノーベル医学生理学賞は、Victor Ambros博士とGary Ruvkun博士が受賞した。筆者は2005〜2009年に米国ウィスター研究所の西倉和子先生の元に留学し、miRNAと前駆体(pre-miRNA, pri-miRNA)のA-to-I RNA編集について研究を行った。同じラボには大阪大の河原行郎さんがおり、日々色々な話をしていたのを思い出す。西倉ラボには、A-to-I RNA編集について多くのノウハウがあったが、miRNAについては話が違った。この当時は、miRNA産生に必要な遺伝子も一部未解明で、実験ツールやプロトコールの多くを皆で自作していた。初期のサンガーシーケンスで使っていたでかいガラス板を使ってmiRNAの電気泳動をし、何もかもが手探りの状態であった。筆者は留学の10数年前に同じガラス板を使い、S35でシーケンスしていたので、難しいゲルを作るのは慣れていた(横45 cm x 縦70 cmぐらいのPAGEゲルを想像してほしい)。この実験はもうしないと思っていたが、人生、何の経験が役立つかわからない。留学時に、EBウイルスのmiRNAの研究を始めたが、この研究を今も続けている。つまり筆者の研究者生活は、miRNAに大きな恩義(?)があるわけで、こういう解説もゆるされるだろう。

 先日、程さんがRNA学会の会報に書いたとおり、miRNAの臨床応用はかなり難しい。最も困難な問題点は、標的とする臓器への特異的な核酸の輸送。この技術がまだ十分に開発されていないことだろう。だが医学では例え効果が認められても、既存薬より効果が低いと薬にならない。更に、副作用が強いとこれもまた薬にならない。薬は、有効性以外にも複数のフィルターをクリアーしてようやく、皆さんの前に登場している。ではmiRNAの研究成果を医学に応用する方法は、他にないのだろうか?程さんのエッセイに少し触れていたのだが、ここをもう少し掘り下げて解説をしてみたい。実は、miRNA研究の医学応用で、有望視されているのは臨床検査である。

 40代に突入すると、多くの人が人間ドックの検査を受ける。この時人間ドックの検査項目の1つに、“腫瘍マーカー”というのがあるのをご存知だろうか。癌になると、正常時とは違う色々なタンパク質が血中に出てくる。これを腫瘍マーカーという。この数値が変動してくれば、癌が体内にある確率が高い。癌というと、大きな手術だとか抗癌剤治療が頭に浮かぶ。ところが、胃癌や大腸癌の早期発見であれば、内視鏡で癌を取り除いて終了となる。もちろんしばらく定期検査は必須だが、早く癌を見つければ、治療も簡単でかつ生存率も劇的に上昇する。驚くことに、非常に生存率の低い膵臓癌でさえ、超初期(ステージ0)で発見されれば、5年生存率は85.5%にも達する。つまり、癌治療では、検査による発見が非常に重要になる。ところが癌の早期では、腫瘍マーカーの発現は変動しないことがある。また、腫瘍マーカーが大きく変動していても、癌がないケースもある。従って、より鋭敏で特異性の高い腫瘍マーカーの探索が続いていたが、意外なことに、この定義にぴったり当てはまったのがmiRNAだった。大部分のmiRNAの発現は、癌になると低下する。しかし、miRNAによっては癌によって発現が上昇するものがある。細胞内で発現したmiRNAは、細胞外小胞(exosome)を使って体液へ放出される。exosomeは、miRNAを含む小さなRNAを取り込んでおり、しかも、脂質膜でmiRNAを包んでいるのでRNaseからも保護され、非常に壊れにくい。そして、体液中のmiRNAは血液へ移行する。つまり血液を使えば、一挙に多種類の癌を検査できることになる。このような検査を、多癌種早期検出検査(MCED)という。現在、1回の検査で、13種類の癌(乳癌、膀胱癌、胆道癌、大腸癌、食道扁平上皮癌、肺癌、胃癌、肝細胞癌、膵癌、前立腺癌、卵巣癌、骨軟部肉腫、脳腫瘍)について、調べることができるように、臨床試験が進められている(図1)。また血液や体液(尿、唾液など)を使ったmiRNAの検査は、バイオベンチャーも独自に開発を進めている。

 

図1 miRNA検査による癌の検出。

 もしかすると、この話はちょっと聞いた事があると言う人は、RNA学会では結構いるかもしれない。問題は、この話が今、どの段階にきているかである。先の13種類の癌を一気に同定する検査の場合、2010年代初頭から国立がんセンターの落谷孝広先生(現:東京医科大)を中心に研究が進められてきており、癌患者のサンプルと、健常人の間に統計的に差があることは判明している。次のステップは無作為に検査を行い、陽性であった人に本当に癌があるのか?という点である。これも、臨床試験が進められているが、まだまだ解析は必要であろう。1つクリアーしたら、つぎのスケールへ。臨床応用は時間がかかる。同じRNAでも、例のRNAワクチンが成し遂げたことが、いかにすごかったのか、理解ができるだろう(注:RNAワクチンの場合、臨床試験はかなり大規模に行なっており、通常のワクチンと同様、統計解析もかなり厳密である)。

 RNA学会でマウスを使った実験結果が時々出てくる。その時に細胞実験と比べ、標準誤差が大きいのに気がつく。実験に使うマウスは遺伝的には均一だから、マウス5匹を調べても人間一人分に相当する。つまり、一人の人間でさえ、大きく数値が変動してしまうのに、数千人、数万人単位で有意差を出すのは、かなり大変な事である。従ってこの検査が、全国の基幹病院に通常検査として導入される(保険適応)には、まだ時間を必要とすると思われる。ただし癌以外にも、様々な病気でmiRNAの発現は上昇している。このため人間ドックでmiRNAの発現を調べ、病気を検出するという時代は、確実に来るだろう。

 おまけで筆者の研究してきたEBウイルスのmiRNAについて、少し触れてみたい。EBウイルスは大部分の人が感染しているが、稀にリンパ腫、上咽頭癌、胃癌、などの癌を引き起こす。また、慢性活動性EBウイルス感染症という、難治性の病気を引き起こすこともある。このウイルスはゲノムサイズが170kbpほどもある巨大なウイルスで、ゲノム中に44種類ものmiRNAをコードしている。このうち、40種類はウイルスの感染維持に重要であり、このウイルスが引き起こす病気では、ウイルス感染細胞中で絶えず発現している。そして、EBウイルス感染症に対する特異的な治療薬は存在しない。ということは、ウイルスmiRNAの発現を低下させる薬は、抗EBウイルス薬となる可能性が高いことになる。筆者は、幸い2024年11月に教授になれたので(図2)、この観点から、ラボの研究を進めていこうと思っている。ラボが発足直後なのでホームページは作成中なのだが、研究に興味がある方は是非ご一報いただければ幸いである。

図2 研究室の一コマ。留学生が多いのでポッドラックパーティーをしている。ラボにはリタイアした臨床の先生も、研究にきています。