第1回のエッセイを書いてから早1年である。実はその後会報が出るタイミングの度に、担当の北畠真さんから、寄稿を催促されたが、ひとえに忙しさにかまけてサボった結果であり申し訳ない。担当者も甲斐田大輔さんに代わり、先日の日本RNA学会年会 (大阪) で、さっそく彼から原稿を依頼され、いよいよ書かなければいけない状況に追い込まれた。幸いネタは盛りだくさんなので、例によって大脳皮質に鮮明に長期記憶された情報断片を引き出しながら、ありのままを如実に書き出した次第である。今回は、すべてアメリカでの研究生活の生きた体験であるから、昨今はさっぱり人気のない海外留学を考えている若い人たちへの、何かしら勇気づけられるメッセージになってくれたら嬉しい。一言で言うなら、アメリカは個性を認めチャンスをくれる国、ただしチャンスを生かせるかどうかは本人次第。おっと、これでは萎縮してしまうか。ではもう一言、アメリカは、てっぺんをめざすアメリカン・ドリームを夢みながら、そうならなくとも、多様な可能性を生かせ、リトル・ドリームを実現できる国、でもある。さあ、個性豊かな若い衆は、委細構わず、後先考えずにアメリカに行ってみることをお勧めする。何を隠そう、私がそうだったのだ。

■分子生物学のメッカ、コールドスプリングハーバー研究所ってどんなところ?

私がまだ若かりしころにお世話になったコールドスプリングハーバー研究所 (Cold Spring Harbor Laboratory、以後CSHLと略記) は、半端なくノーベル賞密度が高いところである、間違いなく世界一だろう。稀少かつ貴重な思い出がいろいろとあるので、それからぼちぼち雑談を始めるとしよう。私が31歳でポスドクとして留学した時 (1990年) は、あのDNA二重らせん構造解明で知らない人はいないJames Watson (1962年ノーベル生理学・医学賞) が所長であった (図1)。言うまでもなく、アメリカでは名字でなく下の名前 (First name) で研究仲間を呼び合うわけであるが、たとえ師匠であっても当然であり、ど偉いこのお方と言えども例外ではなく、私のボスだったAdrian Krainerを始め研究者は、いや下々のポスドクですら、所内でちょくちょく彼に出会うと「Hi Jim」と挨拶をするのだ。日本の道徳が染みこんだ我が身にとっては、たいそう抵抗があったが、慣れというのは恐ろしく、その内に平気で「Hi Jim」と言えるようになるのである。


図1  DNA二重らせん模型の前に立つ当時コールドスプリングハーバー研究所の所長Jim Watsonと私。彼のネクタイに注目、 (さすがに当時の現物ではなく複製品と思われるが) これは1953年に作られた有名なRNA Tie Club同士の証である。DNA構造発見の後、Jim Watsonの呼びかけで、DNAから如何にして蛋白質が作られるか、すなわちセントラル・ドグマを解明する当時の機運に意気投合したグループで、そうそうたるメンバー (James Watson, Francis Crick, Gerge Gamow, Max Delbrück, Sydney Brenner, Erwin Chargaffら20名) が名を連ねている。

畏れ多くもここではJimと呼ばせてもらうが、Jimは所長であったから、所内で何かしら行事や催しものがあると最初にスピーチすることがちょくちょくあった。その英語が、何を言っているのかさっぱりわからない。小声でボソボソと、ときどき薄ら笑いを挟みながら、失礼ながら、だらだらと話されるのである。私のボスのAdrianも英語を母国語としないが故に、彼との会話は明瞭でよくわかり何不自由なかったが・・・、やはり初めて留学して1、2年、私のヒアリングの修行はまだ足りないから、Jimの会話が理解できないと思っていた。ところがある時Adrianに「Jimの話している内容はよくわかりますか?」と聞くと、何と「いや、俺も彼の言うことはよくわからない」、と言うではないですか。Adrian曰く、Jimの話は、気まぐれで話題が自分の頭の中で飛ぶらしい。相手にわかりやすく話す、というお考えは毛頭ないのだ。天才と〜は紙一重、とよく言うが、それがよく実感できた。凡人とは次元の違うところで物事を考え、お話をされているのだ。一方、分子生物学のバイブルと呼ばれていた分子生物学の教科書 ‘Molecular Biology of the Gene’ は世紀の名著であり、とてもわかりやすく書かれている。私の大学院生の時代は、Adrianの大学院時代の師匠Tom Maniatisらによるクローニングの実験書 ‘Molecular Cloning’ と共に必ず買わされて読んだものである。あの有名なノンフィクション小説「2重らせん」の文章は、読まれた方ならわかると思うが、生き生きと描かれていて、すこぶる面白い。この格差は何だろう? やはり天才なのだ、と納得しておこう。

同じ天才でも、まったく違うタイプの方もいらっしゃる。あの動く遺伝子をDNA構造発見以前に、もちろんクローニング技術も塩基配列解読法もない時代に、トウモロコシを使った地道な研究で発見されたBarbara McClintock (1983年ノーベル生理学・医学賞) は、私がCSHLに来た時には既に88歳のご高齢だったわけであるが、驚くべきことに、まだ現役の研究者だった。私が実験をしていたのはDemerecと呼ばれていた研究棟の2階であったが、その1階に古式ゆかしい植物学の研究室を構えておられたので、会って挨拶をするのもしょっちゅうだった。畏れ多くも「Hi Barbara」である。建物の一箇所に、各研究室に宛てられた郵便物を仕分ける棚があったが、所内の郵便担当者が一箇所に集めておく郵便物を、朝方にBarbaraは一つ一つ丁寧に研究室ごとに仕分けられていらっしゃった。ある日の朝、このような仕事を、この世紀の偉人にさせてはならないと思い、「そんなことは、僕がやりましょう」とお手伝いしようとすると、血相を変えて睨まれてしまった。実は、このお仕事は、彼女の毎朝のルーティンとなっていたようで、それを知らないで邪魔した私が失礼だったのは当然であった。

Barbaraは1992年9月2日に急逝されたが、その4日前の8月29日に、彼女が元気でチーズをつまみに赤ワインを召し上がっているお姿を私はしっかりと目撃している。8月26日から30日にかけてMouse Molecular GeneticsのMeetingが開催されていたが、そのMeetingに参加され、CSHL Meetingでは恒例となっているWine and cheese partyと呼ばれる屋外での午後の懇親会での出来事である。だからこそ、突然の訃報に愕然とした。最期の最期まで現役の研究者であり続けたBarbaraらしい享年90歳での大往生である。亡くなる前に、何か一つでも喜ぶことをしてあげたかったなぁ、などと凡庸なことが心残りながらも、自分もBarbaraのように、高齢でも最期まで元気で美しく死にたいと高尚なことを考えた。

分子生物学の教科書に載っている、遺伝子の実体がDNAであることを証明した、あの有名なハーシー・チェイスの実験を行ったAlfred Hersheyは、バクテリオファージを使った実験を用い、分子遺伝学の開祖とも言えるMax DelbrückとSalvador Luriaと共に1969年ノーベル生理学・医学賞を受賞したが、3人ともCSHLで行った実験が決定的な業績となっている。Al Hersheyはその後もずっとCSHLに残られ、私が留学したときは81歳であった。すっかり研究からは引退されて、研究所に来られることもほとんどなかったが、研究所内の敷地と言えるくらいの近いところにご自宅があり、自宅の前の家庭菜園で野良仕事をされているお姿をよく拝見した。私の2軒目の下宿 (Lab House) も近くにあり、研究室の行き帰りに、彼の自宅前の道を必ず通ったのだ。

さて、いよいよこのエッセイのテーマ『スプライシング発見40周年』の主役お二人の登場である。私のいわば大ボスであったRichard Roberts (呼び名はもちろんRich) は、マサチューセッツ工科大学 (Massachusetts Institute of Technology, MIT) のPhillip Sharpと共に分断遺伝子、すなわちイントロンの発見で1993年のノーベル生理学・医学賞を受賞するわけだが、実はPhilもMITに就職する以前、CSHLで1971年から1年間ポスドク、その後即スタッフ研究員に昇進して3年間勤めていた。RichもPhilもJim Watsonが才能ありと見抜いて、10分程度の面接だけでCSHLにヘッドハンティングしたそうだ。まさにノーベル賞がノーベル賞を呼び込んだのだ。そうそう、スプライシングと言えば、必須因子のsnRNPsを発見した大御所Joan Steitz (イェール大学)、前回のエッセイで話したように私をスプライシングの世界に引き込んでくれた恩人だ。彼女はハーバード大学でのJim Watson研で大学院生だった。ノーベル賞こそまだもらわれていないが、彼女のもつ名誉称号や受賞は、なんと78にもなる! 誰だって一生に一つでも受賞できれば有頂天になるような賞ばかりである。

CSHLのRich研では制限酵素の研究と開発を行っていたが、今日知られている制限酵素の4分の3はRich研が発見し開発したものだ。PCRを駆使できる昨今でこそ影が薄いが、制限酵素が使えるようなって、分子生物学が発展したと言っても過言でなく、当時は制限酵素は必須アイテムだった。Richはアデノウイルス-2のゲノムに興味を持ち、自らが開発した制限酵素で、その構造を明らかにし、そのRNaseで分解したmRNA断片を二次元薄層クロマトグラフィーを使って解析していた。一方、Philも同じアデノウイルスに興味を持っており、分子生物学のいわば西の雄であるカリフォルニア工科大学 (California Institute of Technology: Cal. Tech.) から、わざわざCSHLに来た理由の一つは、Richの開発した多種類の制限酵素が使えるからだった (言うまでもなく当時は制限酵素はまだ市販されていない)。

アデノウイルス-2の遺伝子が、蛋白質の翻訳とは関係のない介在配列 (intervening sequence、後にWalter Gilbertによってintronと命名される) で分断されている事実は、1977年ほぼ同時にRich研がCSHLで、Phil研がMITで独立に発見し、これは遺伝子が転写後に介在配列 (イントロン) が除かれる編集 (スプライシング) を受けていることを示唆した (Berget et al., 1977; Chow et al., 1977)。両者からの論文の投稿および出版は1ヶ月の差があるが、双方とも相手の論文を引用していることから、事前に打ち合わせての投稿である。この業績で両者は16年後のノーベル賞を受賞するわけだが、そのイントロンの発見が、なかなか信じてもらえなかったことは、Richからの私信メールで、奇しくも端的に語られていた (図2)。新しい発見を容易に認めようとしないのが、(いい意味でも) 科学者の性である。


図2 Rich Robertからの電子メール (2011年6月28日付)。成熟mRNA再スプライシング現象の証明論文 (Kameyama et al., 2012) を投稿する際に、Nucleic Acid Res.誌の編集委員でもあるRichに相談したときの返信メール。Richは論文出版で悪戦苦闘していた私を励ますために書いてくれた文章だが、イントロン発見時の苦労話を打ち明けてくれた。イントロンの存在を生化学的な実験 (古市先生のエッセー参照) が強く示唆していたのに、最終的に信じてもらえたのは、ゲノムDNAとmRNAをハイブリダイゼーションし、イントロンに対応するmRNAが、DNAからループ状にはみ出している電子顕微鏡写真を示した時だった (このR-Loop実験も古市先生のエッセーに詳しく説明されている) 。これこそまさに「百聞は一見にしかず」である!

さて、このイントロン発見の前後の詳しい状況は、古市泰宏先生のエッセー『走馬灯の逆廻し(3)』に、実体験に基づいて如実に書かれているので、ぜひ読んでほしい。イントロン発見の先陣争いに、古参のJames DarnellとAron Shatkinチームも関わっていたことや、当時は若造のRich RobertsとPhil Sharpが、Shatkin研でセミナー発表した場に居合わせた古市先生が、その内容を生き生きと語られている。古市先生が、セミナー後のRichに、CapされたRNA断片の存在のヒントを与えなかったら、ひょっとしたらRichのイントロン発見は遅れていたかもしれない、という衝撃的な話も含まれている!

前回のエッセイに書いたように、私のボスだったAdrianは最初はRich研究室のポスドクとしてコールドスプリングハーバー研究所(CSHL)に来た。Adrianはハーバード大学のTom Maniatis研で優秀な大学院生であったため、並のポスドクではなく、CSHL Fellow (初代) という肩書きであり、みんなはスーパーポスドクと呼んでいた。ちなみに私のCSHLでの最初のLab Meetingは、Rich研の一員としてやらせてもらい、日本でのスプライシングの研究を、恥ずかしながらRichの目の前で発表した。

私がAdrianと一緒に朝から晩までピペットマンを握りながら実験をしていたRich研で、AdrianがしおらしくRichから長々と一方的に説教を食らっているのをよく見かけた。Richはイギリス人だから、アメリカ英語に慣れている私たちからは、文字通り本場の「英語」で失礼だが、独特のスカスカ音が耳につく。聴かないふりしながら耳ダンボ状態で聴いてみると、どうやら研究のことではなく、PI (Principal Investigatorの略でアメリカで研究室を主宰する独立研究者のこと) としてやっていくためのノウハウをたたき込まれているようだった。CSHL Fellowというポストは、優秀な大学院生を超一流のボスにつけて、できるだけ早く一本立ちさせるのをモットーとしていたので、Richも気合いが入っていたわけだ。自分が発見したスプライシングの分子機構の研究を、自分の後釜として進展させてほしいという思いも強かったに違いない。まさに一流が一流を育てる現場を見たような気がする。さて、将来的には再びノーベル賞がノーベル賞を呼ぶだろうか? 身近な人々だけに、ワクワクする限りだ。初代Jim Watson → 二代目Rich Roberts & Phil Sharp → 三代目Adrian Krainerの偉大なるmRNA学の系譜だ (Jimは前職のハーバード大学では翻訳の研究をやっていた)。三代目Adrianは世界初のアンチセンス核酸医薬の開発で (後述)、近い将来にノーベル賞があり得るかもしれない。さて四代目はあり得るか (もちろん私は金輪際あり得ないが!)。

とにかくアメリカの一流Professorたちは、弟子もすごいことがわかる。例えば身近なところでは、Phil SharpやGideon Dreyfussの研究室からは、きら星の如く世界トップレベルの教授が輩出している。Dreyfuss研に留学されていた塩見春彦、美喜子さん夫妻 (現、慶応大学医学部・教授、東京大学大学院理学系研究科・教授) は、もちろん日本代表格だ。今や日本RNA学会の要職につかれている片岡直行さん (東京大学大学院農学生命科学研究科・特任准教授) と甲斐田大輔さん (富山大学大学院医学薬学研究部・准教授)、そして、うちの研究室の助教になった福村和宏君は、Dreyfuss研での塩見さんの後輩であり、今後の活躍が楽しみである。

意外と思われるが、アメリカでは、一見無礼講でもMentor (師匠) – Mentee (弟子) の関係を重視する。いわば徒弟制度の現在型と言えるかもしれない。このような関係はPIになってからもあり、私がマイアミ大学医学部のAssistant Professorだったころも、Mentor役だったProfessor Mary Lou Kingから、NIH grant (アメリカ国立衛生研究所が公募する競争的研究資金で生物系PIには必須) の書き方などを親身になって指南してもらった。上司のDepartment director (学科長) Murray Deutscherからも、研究費の使い方や研究室運営に関して、しばしば的を射るような的確なアドバイスを受けた。

2013年に新潟大学脳研究所が開催した国際シンポジウム'RNA World in Brain'で、偶然に私とAdrianが招待講演だったが、Adrianの講演で、師匠Richからの説教のエピソードの一つが話されたのは、たいそう驚いた。「Richからは、PIになって最初のポスドクは十分に気をつけて採用しないと身を滅ぼしかねないぞ、と言われ、私はAkilaを採って本当にラッキーだった。彼と33報の共著論文を書くことができた」という話から講演を始めたのだ。外面気恥ずかしく、内面感激したと同時に、アメリカでPIを経験した私には、なかなか耳の痛い話だった。

当時、CSHLで隣の研究室だった若手PIのDavid Frendeweyは、分裂酵母を使ってスプライシングの研究をやっていたが、最初のポスドクに恵まれず業績が出なくて、短期間でCSHLを追われ、その後アカデミアからも離れて会社に就職した (現、Regeneron Pharmaceuticals社、Senior Director)。Adrianからは、再三再四、Davidは優秀だったのに、ポスドクがひどかったから不運だった、と聞かされた。Davidはすごく賢くて、書いた論文を読んでもらっての修正やコメントは最高だった。人格的にも人当たりが良くて、優しく親切にしてくれた。彼はCSHLでは不運だったかもしれないけど、会社への就職は正解であり、私は幸運だったと思う。同じく分裂酵母でのスプライシング研究をされてきた谷時雄さん (熊本大学大学院理学研究科・教授) はDavidと共同研究もされたことがあり、とても親しい間柄だが、まったく同じ思いに違いない。

私自身は、CSHLに7年半の長きにわたりお世話になった。前回も話したようにポスドクにとっては素晴らしい研究環境であり、実験はどんどん進むし、Adrianも一番弟子として大事にしてくれたから、要するに居心地がよかったわけだ。まあ、研究室と時期に恵まれからこそなのだが、アメリカ人の出来のいいポスドクは、こんな長居は絶対にしない。当時、細胞生物学のDavid Spector研にいたポスドクのTom Misteliからは、培養細胞の顕微鏡撮影を手取足取り教わりお世話になったが、彼曰く、「ポスドク職なんてクソ食らえ、成果を出して、できるだけ早く独立しないと」。ちなみにTom、今はNIHの重鎮である。アメリカ人なら、トップジャーナルに論文がでた時点でチャンスと思い、独立のための就職活動をするだろう。私は大した危機感もなく、「ポスドク職はありがたい、成果が出るから、長くいても快適だ」などど思っていた。周りからあれこれ言われて、ぼちぼち就職活動をし始めたのは4年後であった。案の定、賞味期間を過ぎた私はPI職を得るのにさんざん苦労することになる (後日の機会にまた話そう)。ただ逆説的であるが、自分自身、最高のサイエンスができたのはポスドク時代だった。PIになれば研究費の取得、研究スタッフの雇用、研究室の経営で大わらわとなり、研究に直接没頭できる時間は限られてくる。楽しみは若い人の実験データに一喜一憂して論文を書くことぐらいで、自ら実験をしてデータを出し、解析をして、仮説を検証する、というサイエンスの醍醐味は味わえない。だからこそ、Richが言うように、PIは優秀な弟子を雇うことが重要となるのだ。それが、一流から一流を輩出する構造基盤にもなっている。

CSHLは、人の出入りの激しい研究所である。回転率の高いレストランとはよく言うが、CSHLのPIは回転寿司で回ってくる寿司を見ているようだ。どんどん供給され、回っている寿司はどうなるか? うまそうなのは食われてなくなる一方、売れ残ってしまったのは、賞味期限が切れた時点で捨てられてなくなる。基本的にTenure (終身雇用) がないのが有名で、管理職を除けばTenured Scientistの肩書きを持つ研究者は一人 (Michael Wigler) だけだった。どんな優秀なPIも5年任期での継続雇用 (Rolling fiveと呼ばれていた) という形態であった。しかし実際に継続雇用を繰り返して何十年と勤務しているのはAdrian Krainer、David Spectorを含む数人だけだ。うだつが上がらないPIは肩を叩かれ、あれよあれよと言う間に追い出される一方、やる気満々、生意気盛りの若造がPIとしてどんどん雇われてやってくる。一方、CSHLで抜群の業績を挙げたPIも、一流大学のTenured Professor職などを得て、次から次へと栄転していくのが常である。「最高の研究環境を提供するから、さっさと業績を挙げて出世しなされ」、と言わんばかりだ。(たとえクソ食らえでも) ポスドクにとっては天国のような所だが、PIにとってはとても厳しい所で、業績が出なかった人にとっては地獄かもしれない。私がCSHLに来て1年半後に、神経ペプチドの研究をされていた那波宏之さん (現、新潟大学脳研究所・所長) はPIとしてCSHLに来られたので、さぞかし切れ者でコワい先生だろうと思っていた。いざ会ってみると、予想が外れ、とても人当たりのいい優しい方だった。在職中は、公私共々大変親しくしていただき、とても楽しかった。船釣りに連れて行ってもらい、釣ったヒラメを自ら裁いて刺身にされて、たっぷりとご馳走になった。那波さんも、CSHLの掟に逆らうことなく、研究室は3年半でたたみ、新潟大学の教授として出世され、さっさと去って行かれた。

大学では、当然Tenure制度があるし、年を取って研究が斜陽になってきたら、講義などの教育活動に重点をおくような身の振りかえ方もある。多少なりとも教育に貢献するわけだから、例えばCSHLの後、私がAssistant Professorとして就職したマイアミ大学医学部では、自分の給料の半額は自分のグラントから出すが、残りの半額は大学が出してくれた。CSHLは、給料の全額を自分のグラントから出さなければならない。よく日本では、研究費がアメリカに比べて少ない、と報道されているが、額面そのままで比較してはいけない。例えば、NIHグラントを年に8千万円もらっても、その少なくとも6割は自分とポスドク、テクニシャン、大学院生など雇用者の保険料込みの給料で消えていく。CSHLは、その名の通り純粋な研究所である。今でこそWatson School of Biological Sciencesという大学院博士課程 (Ph.D.) プログラムがあり、世界中から優秀な大学院生を少人数だけ採用しているが、その大学院生の研究の面倒を見ているのは、ごく一部の研究室だけである。

当然のことながら、研究者の出入りが頻繁で、しょっちゅう所内で研究室の引っ越しがあった。あっと言う間に研究者が去ったと気づいたら、すぐさま研究所に常勤で雇われている大工や技師が改築をし、部屋が一新されて次の研究者がやってくる。カリフォルニア大学バークレー校のElizabeth Blackburn研の大学院生で、染色体の末端構造であるテロメアを研究し、元ボスと一緒にテロメラーゼを発見したCarol Greider (2009年ノーベル生理学・医学賞) は、Adrianに続いて、1988年に二代目CSHL FellowとしてCSHLにスカウトされて来た。ある時期に、所内引っ越しで、お隣 (元Rich研の部屋) にやって来た。元の家主Richはと言えば、1992年に制限酵素で有名なNew England Biolab社の研究所・所長に就任し、彼の研究室は空き部屋になっていたのだ。

このような状況なので、隣のCarol研の様子は、しょっちゅう拝見できた。Carol研のメンバーは、(私が居たころは) 大学院生とポスドクすべて女性だった。女性ポスドクK.C. (くれぐれも詮索しないように) がとにかくアグレッシブ (適切な邦訳が見つからないが、とにかく相手構わず激しく自分を主張する感じ) で、研究のことで、しょっちゅうボスのCarolと激しい口論をしていた。テロメアが伸長するメカニズムという、当時はホットな研究課題だったので熱くなるのはわからないでもないが、ボスの研究テーマで研究させてもらい、給料までいただいている分際で、お世話になっている師匠に食ってかかるなんて失礼千万、日本ではまずあり得ない光景だろう。Carolは生粋のアメリカ人であるが、実は子どものころから言語障害があり、いつも口数は少なくお喋りは上手ではなかったから、K.C.に一方的にまくし立てられているのを見ると、Carolが気の毒に思えてしかたがなかった。上記のTomが言うように、K.C.にとってポスドク職なんかクソ食らえで、師匠を踏み台にして、早くいい雑誌に論文を出して独立することしか考えていないのだろう。

さて、テロメアと言うと、私はロウソクを思い出す。子どものころに漫画か何かで見た、自分の寿命の長さが、ロウソクに反映されている情景をよく覚えている。自分のロウソクが長いのをみて得意満面、かたや自分のロウソクが短いのを見て、焦って継ぎ足そうとしたりするのが面白かった。テロメアは、細胞が老化していくと短くなっていき、老化や癌に密接に関係していることがわかった。まさに、このロウソクではないか! CarolはCSHLの出世組であり、例によって例の如く、1997年にジョンズホプキンス大学の教授として栄転して出て行かれた。一方、Carol研の過激な女性戦士たちの多くも、教授となって出世している。ちなみにK.C.はカリフォルニア大学バークレー校の教授だ (ということは、彼女のボスのボス、Blackburnの大学に戻っているわけだ)。アグレッシブなK.C.教授は、雇ったアグレッシブなポスドクとカンカンガクガク言い争って、ガンガン業績を挙げているに違いない。

以上、数えてみるとCSHLからは8人のノーベル賞受賞者を輩出していることになる。ついつい雑談が長くなってしまい、話が大きく脱線してしまったが、世界最前線の研究所の雰囲気が少しは伝わっただろうか。そろそろ主題であるRNA研究の話に戻ろう。

■スプライシング・エンハンサーとスプライシング・サイレンサーへ結合するSR蛋白質とhnRNP A/B蛋白質

前回のエッセイは、「後々の研究で、SF2/ASF(SRSF1)とhnRNP A1蛋白質は、スプライシング・エンハンサー (促進配列) とスプライシング・サイレンサー (抑制配列) の主役となるのだ」、という文言で締めくくった。この史実から話してみたい。

最初のヒトのスプライシング必須蛋白質因子として同定されたSF2/ASF (SRSF1) が、5'スプライス部位の選択活性を有し、イントロンから見て近位の5'スプライス部位の選択を促進すること。またこの因子に拮抗的に働き、遠位5'スプライス部位の選択を促進する因子としてhnRNP A1蛋白質が同定された。この事実はセンセーショナルだったが、二報のCell論文 (Krainer et al., 1990b; Mayeda & Krainer, 1992) を発表した時点では、そのメカニズムはさっぱりわかっていなかった。スプライス部位の選択に関わる重要な因子群を発見した先鋒として、その作用機序を明らかにしたいのは山々であったが、当時は手を動かしていたのは主に私一人だけ、やるべき事が多かったのが現実だった。この後に取り組んで明らかにしたことは、このようなin vitroで発見された5'スプライス部位選択活性は、一般的な選択的エクソン包含・除外にも影響を及ぼすこと (Mayeda et al., 1993)、そして、この活性は細胞内での発現実験でも確認できた (Cáceres et al., 1994)。さらに、SF2/ASF (SRSF1) とhnRNP A1因子はSR蛋白質ファミリー、hnRNP A/B蛋白質ファミリーを代表するものであり、ファミリー内の一部の因子でも、似たようなの活性があることがわかった (Fu et al., 1992; Mayeda et al., 1992; Mayeda et al., 1994; Mayeda et al., 1998)。

この相反する活性をもつSR蛋白質とhnRNP A/B蛋白質が、スプライシング・エンハンサーとスプライシング・サイレンサーに結合するtrans-acting因子であることが明らかになった経緯は、1992年に起こった二つの有り難い幸運から生まれた。(1) 日本ではライバル関係にあったにもかかわらず、同業者として親しく密接な関係を築いていた志村令郎教授研究室 (当時、京都大学理学部生物物理学科) の連中の情報を共有させてもらったことであり、(2) その志村研出身で、当時Alan Tartakoff研のポスドクだった大野睦人さん (現、京都大学ウイルス再生医科学研究所・教授) の招待で、所属のケースウエスタンリザーブ大学でセミナーをさせてもらったことである。

今でこそ、選択的スプライシングに見られる多様なスプライシングは、スプライシング・エンハンサー (splicing enhancer) とスプライシング・サイレンサー (splicing silencer) と呼ばれるmRNA前駆体上の制御配列 (cis-acting elements) と、それに結合する蛋白質因子 (trans-acting factors) によって制御されていることは教科書的な常識となっているが、これは当時の第一線のスプライシング研究者といえども、考えにくかった概念である。一つの理由は、例えば遺伝子のエクソン内のRNA配列は、翻訳領域ならば言うまでもなくそれをコードするアミノ酸配列に依存しているので、特定の塩基配列を作るのには、(遺伝暗号配列による) 制約があるという先入観だろう。そのような制約にもかかわらず、エクソン内の特殊な配列がその近傍のイントロンのスプライシングに決定的な影響を及ぼしているという事実は、1993年に日本人研究者、以前から親しく交友していた志村研の大学院生だった渡我部昭哉さん (現、理化学研究所脳神経科学研究センター・研究員) によって最初に発見された。彼は、免疫グロブリンIgM遺伝子のエクソン内に存在するプリン塩基に富んだ (GとA両方を多く含む) 配列が、上流イントロンのスプライシングを一般的に促進することを証明した (Watakabe et al., 1993; Tanaka et al., 1994)。後にスプライシング・エンハンサーと呼ばれるようになったスプライシング促進配列の最初の報告である。実はこの結果を、論文発表の1年以上も前から私は知っていたのだ。

上記で「最初に発見された」と強調したが、サイエンスの競争は熾烈である、という話を、渡我部さん本人から聞いた史実に基づいて再現してみよう。前回のエッセイでは、SR蛋白質発見の競争が紙一重という話をしたが、実はこのプリン配列に富んだスプライシング・エンハンサーの発見も、論文発表が遅れていたらやばかった。渡我部さんは論文 (Watakabe et al., 1993) を発表する前年、1992年5月27日からキーストンで行われたRNA Processing Meeting (Annual Meeting of the RNA Societyの前身となるMeeting) で、この歴史的な結果をポスター発表した。このMeetingでは、偶然か、必然か、エクソン内の一部が選択的スプライシングに影響を与えることを複数のグループが報告していた。しかし、彼らは特定の遺伝子で、意義のある選択的スプライシング制御配列の決定をめざしていたため、単にスプライシング効率を上げるようなエクソン領域の意義がさっぱりわかからず悩んでいた。その連中が、多くの遺伝子におけるスプライシング・エンハンサー配列の一覧表があった渡我部さんのポスター見て、一斉に自分たちの探索している配列が、共通の配列モチーフを持つ一般的なスプライシング・エンハンサーだと気づかされたのだ! スプライシング・エンハンサーは、5'、3'スプライス部位と同じような一般的なスプライシング必須配列と捉えた渡我部さんに軍配が上がったわけだ。

このMeetingでTom Cooper研 (ベーラー医科大学) は、トロポニンT mRNA前駆体のスプライシングにおけるエキソン内の特定領域の重要性について口頭発表したが、具体的な配列は特定できていなかった。渡我部さんのポスターを見て、ズバリ、その領域に存在したプリン配列がスプライシングに必須だということがピンときたようだ。彼らが大慌てで論文を書いた事実は、日付が物語っている。渡我部さんらの論文 (Watakabe et al., 1993) が受理された日付は1992年12月28日であるが、まだその論文が公開されていない、たった17日後 (1993年1月14日) に、Tom Cooper研から、同様なプリン配列スプライシング・エンハンサーがトロポニンT mRNA前駆体に見つかったという報告がMCB誌に投稿されたのである! 敵は機を見るに敏で、危ないところであった。結局、約3ヶ月遅れで1993年3月23日に受理されたこのCooper研の論文 (Xu et al., 1993) は、最後に校正刷りでの追記 (Addendum in proof) として、"While this article was in review, the characterization of a purine-rich exon element in the M2 exon of the IgM gene was reported (渡我部論文の引用)”、と書き込んでいる。内情を知っている私たちからは、悔しまぎれの言い訳に読める。もし渡我部さんのポスターから配列情報をもらわなかったら、この論文内容はあり得ないからだ。余談になるが、渡我部さんは、その後ポスドクとしてCSHLに来られ、それが私が実験していた隣のDavid Helfmanの研究室だった。彼の奥さん育子さんは、Adrianに (彼曰くとても優秀な) 二代目テクニシャンとして雇われた。渡我部夫妻とは、親しいお付き合いが始まり、とても楽しい時間を過ごすことができ、激しい研究競争からくるストレスを、心地よく解消してくれた。

さて、もう一つの幸運は、アメリカ留学中のよき日本軍戦友であった大野睦人さんからもたらされた。彼がCSHLからほどよい距離のロックフェラー大学のGünter Blobel研でポスドクをしていたころから親しくなり、休みになると彼がロングアイランドに遊びに来たり、こちらからマンハッタンに遊びに行ったりして、お互いの研究の苦労や人付き合いの悩みを打ち明け、(もはや敵国ではないが) アメリカで夢を実現すべく真剣に話し合った。ロングアイランド東部はリゾート地であるが、二人で一泊旅行をしたことがある (図3)。その海岸で海を見つめながら寄り添い、熱く語り合う姿は、周辺のアメリカ人から見たら、ゲイそのものだったに違いない。


図3 ロングアイランド東部の大西洋を望む美しい海岸でたたずむ若かりしころの私 (左、32歳) と大野さん (右、33歳)。この日は奇しくも1990年の七夕の日。

さて、大野さんは1991年7月に急遽ロックフェラー大学のGünter Blobel研からケースウエスタンリザーブ大学のAlan Tartakoff研に移籍された (その経緯は、彼の随筆「留学交遊録」で語られている)。Tartakoff研に落ち着かれた後、ありがたいことに、彼の肝煎りでケースウエスタンリザーブ大学でセミナーをさせてもらった。1992年6月15日の午後4時から、SF2/ASF (SRSF1) とhnRNP A/B蛋白質による選択的スプライシング制御についてのデータを発表したが、アメリカではセミナーの後に、必ずそこの大学教員や研究員と面会する時間を作ってくれるのがしきたりである。スプライシング研究の大物Tim Nilsen教授 (今は名誉教授になられたようだが、まだRNA誌のChief Editorである ) もその一人で、タバコの煙がもうもうと漂う教授室に案内された (昨今ではありえないが)。彼はヘビースモーカーで、面会している短い時間の間に、2、3本のタバコを吸った。それだけが強烈な印象に残っていて、失礼ながら話した内容はさっぱり覚えていない。彼は食事でステーキを食べる時は、塩胡椒を山ほどかけるのは、スプライシング業界の人はよく知っている。健康志向の高いアメリカで、これほど健康に無頓着な人も珍しい。この当時、彼は長さ20 cmぐらいある豚回虫から細胞抽出液を調製してスプライシングの研究をやっていて、「C. elegansよりでかくて操作がしやすいよ」、と私たちを含むスプライシング研究者にしきりに勧めて広めようとしていたが、みんな陰でYak (吐きそうという意味) と言って遠慮していて、他で豚回虫を使い始めた話はその後一切聞かなかった。また話が脱線してしまったが、重要なのはもう一人の教授、Fritz Rottmanに会って話したことである。彼は私のセミナーに大いに興味を示し、研究室で得られた興味深いデータを見せてくれたのだ。

Rottman研では、当時ウシの成長ホルモン遺伝子 (bGH) を使って選択的スプライシングの研究をやっており、その最後尾のエクソン内部の配列 (彼らはFP断片と名づけた) を欠損させると、上流のスプライシングがうまくいかず、イントロンが残ってしまうことを見つけていた。彼らが、スプライシング必須因子としてのSF2/ASF (SRSF1) と、それに拮抗的に働くhnRNP A1に感心を寄せたのは当然の成り行きだったかもしれない。私は、渡我部さんが見つけたプリン塩基に富んだ配列が、上流イントロンのスプライシングを促進する話をし、FP断片の配列を見せてもらうと、確かにプリン塩基に富んだ配列が含まれていた! ひょっとするとこれは・・・、とんとん拍子に共同研究をやりましょう、と相成った。

魅力的な仮説を立てて、それを実験的に証明することが科学の王道であるが、仮説通りに実験データが揃うことはあまりなく、泣く泣く仮説を再検討するのはよくあることで、科学者たる者、それで落胆してはいけない。そこから予想外の素晴らしい発見が生まれることもちょくちょくあり、決して悪いことではない。だが、このRottman研との共同研究に関して言えば、すべて予想した通りのデータが面白いようにざくざく出てきた (図4)。(1) そのFP断片を用いてHeLa細胞核抽出液存在下で紫外線クロスリンキング実験をやると、その断片特異的に33 kDa付近にバンドが検出でき、それはSF2/ASF (SRSF1) であった。(2) SF2/ASF (SRSF1) の添加でbGH mRNA前駆体のスプライシングが促進したが、FP領域を欠く mRNA前駆体では促進は見られなかった。(3) さらに、hnRNP A1を添加するとSF2/ASF (SRSF1) によるスプライシング促進効果が減弱した。hnRNP A1も特異性は低いもののFP断片に結合することがわかり、SF2/ASF (SRSF1) のFP断片への結合を競合阻害しているのが、スプライシング抑制の原因と考えられた。


図4 スプライシングエンハンサーとして働くFP配列にSF2/ASF (SRSF1) が特異的に結合し、上流のスプライシングを促進する。RNA断片 (E5/FP) に対する特異的結合は紫外線クロスリンキングで調べ、SF2/ASF (SRSF1) に対応する約33 kDaのバンドが出現する。In vitroスプライシングを使って、SF2/ASF (SRSF1) の添加によって最終スプライス産物の明確な増加が観察されたが、この効果はhnRNP A1の添加によって抑制される。論文 (Sun et al., 1993) より改変して掲載。

さらに、同様の分子量を持つもう一つのSR蛋白質であるSC35 (SRSF2) では、このFP断片に対する結合と、スプライシング促進効果は検出できなかった (Sun et al., 1993)。まさにこの論文で、スプライシング・エンハンサーに特異的に結合するスプライシング促進因子の概念が産声をあげたのだ。

この話題にも、Adrian Krainerの宿敵Jim Manleyとのエピソードがある。論文公表からかなり時間が経ってからの話だが、世の中の研究の動向から、この論文の価値をジワジワ認めざるを得なくなり、Jimたいそう悔しがったとAdrianから聞いた。なぜ、このような研究の方向にJimが向かわなかったのは、明らかな理由がある。回のエッセイで話したように、同一の因子SF2/ASF (SRSF1) で壮絶な競争をしていたわけだが、AdrianはSF2 (Splicing factor 2) をS100抽出液に欠けているスプライシング必須因子として精製、同定し (Krainer et al., 1990a)、それに加えて選択的スプライシング調節因子としての性質を発見した(Krainer et al., 1990b)。それに対し、JimはASF (Alternative splicing factor) の文字通り、最初からASFを選択的スプライシング調節因子としてのみ捉えていたのだ (Ge & Manley, 1990)。これはかなり強いこだわりで、JimはASFのスプライシング必須因子としての性質を、当時はなかなか認めようとしなかった。このような誤った執着心により、スプライシング・エンハンサー特異的なスプライシング促進因子としてのASFに出会う縁にめぐり会えなかったかもしれない。この仕事により、SF2/ASF (SRSF1)、いやもっと一般的にSR蛋白質に関しては、やっとJimとの競争に総合的に勝てたような気分になった。

スプライシング制御因子としてのhnRNP A/B蛋白質は、もちろんJimとの関わりはない。と思いきや、再び壮絶な争いが起こった。またまた脱線するが、面白い逸話があるので話そう。脊髄性筋萎縮症 Spinal Muscular Atrophy, SMA) の原因遺伝子は、snRNPの会合に必要なSMN蛋白質を作るSMN遺伝子であるが、ヒトにはSMN1SMN2というほぼ同じ二つの遺伝子が存在する。正常なヒトで機能あるSMN蛋白質を作っているのは、実はSMN1 mRNAの方で、SMN2 mRNAはエクソン7がかなりの割合で除外されていて、ろくに機能していない。この、言わば、ヒトにだけ神様が与えてくださった予備のSMN2 mRNA前駆体のスプライシングを是正して機能あるSMN蛋白質を作らせる、というのがAdrian Krainerが開発した世界初のアンチセンス核酸治療薬「スピンラザ」の作用機序だ。「スピンラザ」は2016年12月23日にアメリカで承認、2017年7月3日に日本でも承認され、ちなみに藤田医科大学病院でも双子の女の子が治療を受けて日々、運動機能が回復している。さて、初期の基礎研究で、なぜ正常なヒトでSMN2のエクソン7が除外されるか、という議論があり、Adrianは (SMN1と比べて) CからUへの変異によってスプライシング・エンハンサーにSF2/ASF (SRSF1) が結合できなくなった、と主張したのに対し、Jimは同じ変異によってスプライシング・サイレンサーにhnRNP A1が結合できるようになった、と真っ向から反対した (図5A)。CSHLで2003年8月20日から開催されたEukaryotic mRNA Processing Meetingの口頭発表の会場で、両研究室のポスドクが続けて発表した後の質問時間に、AdrianとJimが言い争い始め、険悪な雰囲気になった。犬猿の仲をよく知っている聴衆は「また二人やっているよ」と白けていた。私にしたら、どっちもあっていいんじゃない、争うほどのこともないなぁ。コーヒー休憩時のロビーで、興味本位で他の教授連に「あの激しいバトル、どう思いますか?」と聞いたら、「ああいうバトルがあるから、お互いしゃかりきになって研究が進むからいいんじゃない」と、そっけない答え。なるほど、その通りだわ。それが証拠に、この競争の結果は、それぞれの研究室が二回にわたって相次いで発表した一連の論文 (Cartegni & Krainer, 2002; Kashima & Manley, 2003; Cartegni et al., 2006; Kashima et al., 2007) に生々しくレポートされている。その後、熱が冷めてからはAdrianは、あら不思議、両方の可能性があるといつも発表していた (図5はまさにAdrianからもらった図)。争わなくても、よかったんじゃありませんかぁ。元はと言えば、hnRNP A1のスプライシング抑制は私がAdrian研で見つけたもので、Jimがそれに執着するのも、また滑稽だった。

ちなみに、「スピンラザ」の正体は、エクソン7の包含を最も促進したアンチセンスオリゴ修飾核酸の一本である (図5B)。この標的配列は、アンチセンスオリゴの位置を少しずつずらして全域を網羅するWalkと呼ばれた作戦で決定された。Walk作戦なんて途方もない金がかかり普通の研究室ではとてもできないが、共同研究をした会社 (Ionis Pharmaceuticals) が、大量の高価なオリゴ修飾核酸をタダでAdrianに提供し続けたのだ。エクソン7下流のイントロンに存在するその標的配列は、何と長年取り組んできたhnRNP A1に特異的なスプライシング・サイレンサーであった! 大学院生時代に、世界に先駆けてmRNA前駆体基質に対するアンチセンスオリゴ核酸でやったin vitroスプライシング阻害実験 (前回のエッセイ参照) と同じ原理で、たった27年後に、まさか人の病気を治す特効薬が作れたなんて・・・、夢のような話が現実化して感無量である。Adrian研の私の後輩Luca Cartegni、Michelle Hastings、Yimin Huaが、見事に研究を発展させてくれたお陰で、素晴らしい大成果となった (CSHL所内報の説明記事)。


図5 (A)「なぜヒトSMN2 mRNA前駆体のエクソン7がスプライシングで除外されるか?」という問題に対する2つの説明。蛋白質産物を作るSMN1遺伝子のCがSMN2遺伝子ではUに変異しており、その変異を含む位置にSF2/ASF (SRSF1) 特異的スプライシング・エンハンサーとhnRNP A1特異的スプライシング・サイレンサーが存在する。(B) アンチセンス修飾核酸の「スピンラザ」が対合するイントロン上のhnRNP A1特異的スプライシング・サイレンサー (ISS-N1)。修飾核酸は2'-O-(2-methoxyethyl) phosphorothioate oligonucleotidesである。

さて元に戻って、最初にbGH mRNA前駆体で見つけたスプライシングを促進するFP断片は115塩基と長く、その中のどの配列がスプライシング・エンハンサーとして働いているのかは、当初はわからなかった。しかし、その後のRottman研での精力的な実験によって見事に解決された。FP断片内に存在するプリン配列GGAAGGAが、スプライシング・エンハンサーとして機能していることがわかり (Dirksen et al., 1994)、その配列を中心とした近傍29塩基の範囲内に、SF2/ASF (SRSF1) とhnRNP A1の結合部位が複数特定され、両因子の競合阻害が立証された (Dirksen et al., 2000)。

一方、Krainer研では、私が実験も教えた後輩で大学院生だったJun Zhuが、SR蛋白質とhnRNP A1によるスプライシング制御のメカニズムを解明してくれた (図6) (Zhu et al., 2001)。先のエッセイで、SR蛋白質では基質特異性があることに少し触れたが、HIV-1 tat mRNA前駆体はSF2/ASF (SRSF1) 特異的な基質で、別種のSR蛋白質であるSC35 (SRSF2) ではスプライシングされない (Mayeda et al., 1999)。その理由がJunの仕事で明らかになった。hnRNP A1に親和性のあるスプライシング・サイレンサーが下流エクソンに存在し、hnRNP A1はまずそこへの最初に結合をし、それが引き金になって二次的な結合が拡がっていき、その結果SC35 (SRSF2) の結合を阻害してしまう。ところがSF2/ASF (SRSF1) の結合は強く、hnRNP A1の二次的な結合に打ち勝つことができる、その結果として、この基質はSF2/ASF (SRSF1) 特異性を示すのだ。一件落着! さて、最初に見つけたSF2/ASF (SRSF1) とhnRNP A1による相反する5'スプライス部位選択活性のメカニズムは、どうなったか?読者の皆さんも気になるだろう。これは、共同研究者のIan Eperon (レスター大学、英国) がU1 snRNPの結合を指標とした解析を熱心にやってくれ、一応の解決をみた (Eperon et al., 1993; Eperon et al., 2000)。ただ内容はかなり専門的なので、ここでの説明は割愛したい。4種類の違うSR蛋白質 (それ以外のリコンビナントSRタンパク質は作れなかった)、SF2/ASF (SRSF1)、SC35 (SRSF2)、SRp40 (SRSF5)、SRp55 (SRSF6) に特異的なスプライシング・エンハンサー配列は、後輩のポスドクHong-Xiang LiuとLuca Cartegniが試験管内分子進化法 (Systematic evolution of ligands by exponential enrichment: SELEX) を用いて、積極的に決めていった。この情報に基づくスプライシング・エンハンサーの検索は「ESE Finder」を使ってオンラインで簡単にできる。


図6 HIV-1 tat mRNA前駆体におけるスプライシングの制御。スプライシング・サイレンサー (ESE3) へのhnRNP A1結合が引き金となって、hnRNP A1の会合による結合が上流に拡がっていく。それにより、弱いSC35 (SRSF2) の結合は阻害されるが、強いSF2/ASF (SRSF1) の結合は影響されない。ESE3に変異を入れると (ESS3m)、hnRNP A1が結合できなくなり、SC35 (SRSF2) の結合を許し、スプライシングが起こる。論文 (Zhu et al., 2001) より改変して掲載。

このように次から次へとスプライシング調節配列に関する研究が、(私がマイアミ大学に移ってから) Adrian研で発展してきたが、もし大野さんにセミナーに招待してもらってなくてFritz Rottmanとの出会いがなかったら、SF2/ASF (SRSF1) とスプライシング・エンハンサーを結びつけた最初のきっかけがなかったわけで、その後は、どうなっていただろう? 大野さんには一生、尻を向けて、いや足を向けて寝られない (笑)! 予想だにしない人との出会いで、人生どう変わっていくか、誰も分からない、神のみぞ知る、である。古来から、「人間万事塞翁が馬」という格言もあるくらいだ。研究者をめざす若い衆は、先のことはあまり考えない方がいい。何でも面白いと思ったことは、一所懸命やり続けてみるがいい。何とかなっていくものだ。

このようなスプライシング・エンハンサーは、その後多くのmRNA前駆体で続々と見つかり、プリン塩基以外をも含むいろいろな種類の配列が同定された。逆にスプライシングを抑制するようなスプライシング・サイレンサー配列も多種類の配列が見いだされた。その調節配列の位置によって、しばしばエクソンとイントロンを付加する (すなわちExonic splicing enhancer/silencer: ESE/ESS、およびIntronic splicing enhancer/silencer: ISE/ISSと名づけられている)。MITのChris Burge研では、スプライシング因子を一切使わずに、ヒトの塩基配列データベースのコンピュータ処理で候補配列を抽出し、培養細胞を使ったスプライシング活性評価でESEとESSを網羅的に同定することに成功しており、これも「ExonScan」を使ってオンライン探索ができるようになっている。これらのスプライシング調節配列についての詳細は、総説に委ねたい (Wang & Burge, 2008)。以前に頼まれて日本語総説 (前田 & 鈴木, 2003) を書いたので、専門外や初学者の方は、これから読まれると理解しやすいだろう。

振り返ってみると、大学院生の時に、スプライシング部位選択の謎に出会い、それに魅了され、長い間にわたりその問題に執着してきたことが、結果的に重要なスプライシング因子の発見につながってきた。イントロンから見て近位の5'スプライス部位の選択活性が、Adrianとの出会いによってSF2/ASF (SRSF1) の同定につながり、当時SF5と名づけた遠位の5'スプライス部位の選択活性からhnRNP A1 (hnRNP A/B) を見つけることができた。次には3'スプライス部位の選択に目を向けたのは、当然の成り行きで、近位と遠位の3'スプライス部位の選択活性を、それぞれSF6、SF7と勝手に名づけ、今や古典的と言っていい生化学的精製で因子を探索しようとした。SF6はあえなく陥落、SF2/ASF (SRSF1) などのSR蛋白質が、内側の5'スプライス部位と共に、3'スプライス部位の選択活性を併せ持つことがわかった (Mayeda et al., 1993)。それでは、SF7はどうなったかというと、これが奮闘しがいのある難敵であり、また低温室に入り浸りの日々が始まった。SF7の正体もまた、たいへん重要な因子であった。

(続く)


参考文献

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